「風車」-第一五号(一九七九年七月)
スリーマイル島原発事故の際、制御室ではどんな光景がくりひろげられたのか。断片的な記録をつなぎ合わせると、およそ次のようになる。
主給水系が停止し、補助給水系のポンプが入ったが、一次系の温度と圧力は急上昇する。弁が閉じていて補助給水が行われていないことに気づくまでに八分かかっている。札が下がっていて、弁の開閉を示すパイロット・ランプが見えなかったのだ。
そうこうするうちに、炉心は過熱状態になり、水位計も温度計も振り切れた。ECCSのポンプはたびたび停止し、主冷却材ポンプも異常をきたした。放射能洩れが始まり、やがて放射性ガスが制御室を襲った。警報の鳴りわたる中で、五十人とも六十人ともいわれる大勢の人々が、制御室中でてんてこ舞いをした。
事故発生約六時間後、制御室モニターは、毎時十レムという高線量を記録し、制御室からの避難命令が出された。制御室には"決死隊"の数名が残り、ガスマスクをつけて運転にあたった。
これは決して誇張ではない。制御室の状況を想像してみるだけで、戦慄が背筋を走る。それでもまだ、"運転ミス"にすべてを帰着させようとする人がいるのだろうか。(高木)
Posted by 編集部 at 2004年01月21日 17:12