2004年01月21日

「風車」-第一六号(一九七九年八月)

「風車」-第一六号(一九七九年八月)

 かの「チャイナシンドローム」の試写会を見る機会があった。

 映画としてのできはともかく、原発のコントロール・ルームの状況や原子力産業によるデータねつ道、事故隠しなど、現実感にあふれるものであった。

 そして、日常的な安全性軽視や政治的配慮などが重なって、大事故を暗示させる後半へと盛り上がっていく展開は、評判の映画だけのことはあった。

 と同時に、見ているうちにイライラしてきた。当日は、大飯1号炉が緊急停止した後、通産省と安全委に認められて、関電が運転を強行再開したその日だった。大気逃し弁が異常作動し、ECCSが入り、加圧器逃し弁が噴いた。その原因も不明なままに、圧力スイッチだけを交換するというその場しのぎの再開だった。これは、映画の中で、ポンプの異常振動に気づきながら、パッキングだけを取り換えることにより、運転を強行再開していった過程とそっくりではないか。

 しかし映画と違って、日本の現実には、無暴をとがめる技術者もなく、我々の力も運転を阻止し得ていない。急にサスペンス仕立てとなり娯楽映画化していく後半の場面をぼんやり眺めながら、そのことばかりを考え続けていた。(高木)

Posted by 編集部 at 2004年01月21日 17:14