「風車」-第五七号(一九八三年一月)
年をとったのか、月日のたつのが妙に早い。そのうえに仕事がら情報に追われ続けていると、ほんの少し前のことまで、遠い昔のことのように記憶の彼方に次々と追いやられていく。いや、これはあながち歳のせいではなく、情報の氾濫する世の中のせいであろう。
そのことをつくづく感じたのは、少しばかり土本典昭さんのお手伝いをして、「原発切抜帖」の映画づくりに参加した時のことだ。ヒロシマからTMI、そしてツルガまで、その時々には抑えることのできない憤りをもって受けとめたでき事も、いつしか歴史のひとコマとして、自分の中で受容してしまっている。そんな自分を発見した驚きは大きかった。
十年、二十年という時間を通じてみると、推進派の言い分の変質、その場しのぎの発言の無責任さには、あきれるばかりである。たとえば今から十年前に、彼らは石油ショックに乗って、「原発建てなきゃ電気が止まる」と騒ぎたてた。電気と石油のダブつく現在では、笑い話のようなことだ。
だが、そうやって推進派のその場しのぎにケチをつけているだけでは、こちらも状況対応主義から抜けきれない。私たちの運動も十年単位で物を考えるべき時に来ていないだろうか。今年もよろしく。(高木)
Posted by 編集部 at 2004年01月21日 17:33