2004年01月21日

「風車」-第六六号(一九八三年九月)

「風車」-第六六号(一九八三年九月)

 こぶしをふりあげてのシュプレヒコールは暴力の象徴か。反原発全国集会の第八分科会で提起された問題が、集会を縁の下で支えた京都・大阪の若い人びとの「打ちあげ会」で再び議論の的になった。

 こぶしは、武器をもたない、素手による抵抗を意味するのだ、という異議もあった。こぶしはダメというのなら、原発をおしつけられる現地の人びとの、腹の底からの怒りが一体どう表現できるのか、との反論もあった。

 ひょっとしたら、問題を提起したのが東京からの参加者であったことも、反発を招いた一因だったかもしれない。京都や大阪では、口先で非暴力を喋々するのでなく、日常的な実践をつみ重ねてきている。シュプレヒコールについても、さまざまな創意工夫の努力をつづけてきた。「そんなことは東京でこそ言ってくれ」といいたくなるのも、むりはない。

 とはいえ、安易にこぶしをふりあげてよしとすることは、やはり考えなおさなくては、という点では大方の一致がみられる。「戦術」とか「部隊」とかいった言葉の濫用についても、同様だろう。

 まっとうな怒りを大切にしながら、全体集会で森滝市郎さんが語られた「愛の文化」をどう育んでいけるのか。反原発を掲げる私たちは、とてつもなく大きな問題にとりくんでいるのだと思う。(西尾)

Posted by 編集部 at 2004年01月21日 17:43