2004年01月21日

「風車」-第六九号(一九八三年一二月)

「風車」-第六九号(一九八三年一二月)

 いま、「軽薄短小の時代」だという。あまり好きな語感ではないし、そのしわ寄せがどこにおしつけられるのかを考えればとても手放しで歓迎というわけにはいかない。しかし、それにしても、エネルギー多消費の産業構造が二進も三進も行かなくなったことの意味は、やはり大きいといえるだろう。

「軽薄短小の時代」に、まさに逆行するのが原子力である。科学技術庁原子力局の高岡敬展局長が『電気情報』紙の十月号で「重厚長大の原子力」と題する巻頭言を書いている。いわく、「私共の携っている原子力の仕事は、重厚長大を画にかいたようなものである」。

 むろん高岡局長は、ふたたび「重厚長大の時代」がくることを熱望して右の文章を書いているのだが、それが難しいとなればどうなるか。「重厚長大的開発の再活性化と結びつかないかぎり、原子力発電を中核とする原子力産業の活況は望めないようである」。

「重厚長大の時代」が再びくるとは、もとより高岡局長も自信をもって言えない。むしろ「それを望むこと自体が間違いなのか」と考えこまざるをえないのが実情なのだ。

 原子力開発を推進する当事者ですら、その未来に自信を持てない時代―それが、いまである。私たちは自信をもって、反原発の運動を先に進めたい。(西尾)

Posted by 編集部 at 2004年01月21日 17:45