2004年01月21日

「風車」-第九二号(一九八五年一一月)

「風車」-第九二号(一九八五年一一月)

 旅先にて玉野井芳郎先生の訃報に接す。その夜は、次々といろいろなことが思い出されたなかに、宇治田一也氏のことがあった。

 玉野井先生にも、宇治田さんにも、お会いしたのは、昨年のエントロピー学会のシンポジウムが最後であった。宇治田さんは「来年の『市民のエネルギー白書』は原発特集をやりたい、ぜひ協力を」とその際に言われた。「原発や廃棄物の問題を、広範な人びとの議論にのせたい」と玉野井先生。これはとかく仲間うちで閉鎖的になる私たちの運動に対する、かねてからの先生の忠言であったが、この日も、その言葉を言われた。

 お二人とも、原発の非が今や火を見るより明らかになるなかで、運動の方が必ずしもそのことを説得的に示し得ていない、と自分のこととして感じていたのである。

 私の記憶にいきいきと甦えるのは、八三年夏の「反原発運動全国集会」のシンポジウムの場面である。奇しくも、お二人がパネラーとして中心的な役割を演じられ、やや異なる視点から、共に生命の立場を訴えられた。一方は静かに切々と、一方は全身で熱っぽく。

 生命の尊重のためにすべてを投げうっていた、かけがえのない先達の命が相次いで喪われたことの悲しみは大きい。お二人の遺志を、わが「反原発新聞」としても受け継ぎたい。(高木)

Posted by 編集部 at 2004年01月21日 17:54