「風車」-第一一四号(一九八七年九月)
「ポケットの中にはビスケットがひとつ ポケットをたたくと ビスケットがふたつ……」のどかな唄声が聞こえてきた。ふりむくと、物理学者の父親とその幼い子供たちだった。
もう二十年も前のことが、童話のひとコマのようによみがえってくる。唄っていたのは、誰あろう、水戸巌さんと二人の息子さんだった。原子核研究所の裏庭から東大演習林へと続くあたりで、小春日和の秋の日の、静かな日曜日の昼下がりであった。
水戸さんも私も、原子核研究所に移って間もない頃で、水戸さんは三十代前半で気鋭の行動派物理学者としてすでに評判だった。僕はまだ二十代で何事にも自信がなく、"噂の水戸さん"が目の前にいるのに、なかなか声もかけられなかった。もちろんその時には、その後二十年、反原発ということを通じて、これ程にも深いつき合いとなろうとは、思いもよらなかった。
あの時もそれからも、水戸さんがポケットをたたくと、救援、反原発、死刑廃止……と、次々に課題がとび出して、そのどれをも水戸さんは誠実にこなしていた。その姿にいつも励まされてきたし、水戸さんは「ふしぎなポケット」をもっていると、いつも感じさせられた。
山に倒れたことを嘆くまい。それは水戸さんにふさわしくない。「ふしぎなポケット」は望むべくもないとしても、せめてその志を受け継ぎたい。(高木)
Posted by 編集部 at 2004年01月22日 00:09