「風車」-第一七六号(一九九二年一一月)
十月十七日付けの『長周新聞』なる新聞を知人から見せてもらい、迎天した。「核武装が真の目的/プルトニウム輸送」と見出しのついた記事が載っている。
そこに「原子力資料情報室通信 西尾漠氏」とあり、五十行近い文章がつづいているのだ。しかし、同紙の取材を受けた覚えは、まったくない。内容から察するに、『世界』十一月号の《特集・プルトニウム大論争》のなかの拙文から、つまみ食いをしたものだろう。
それなら、そのように引用すべきだ。右の見出しの如き問題意識にもとづく取材に応じてコメントを寄せたと思われるのは、迷惑この上ない。引用にしても、そんな主張を補強するのに使われるなんて、やはりゾッとしないのは同様だけれど……。
プルトニウムは原爆の材料であり、公開の原則の空洞化は軍事転用への歯止めが外れることを意味する。核武装への警戒は、あって然るべきだろう。が、右の主張は余りに短絡的に過ぎる。しかもこの主張は、プルトニウム利用に反対する多くの人びとの想いを一面的に切りちぢめるものでしかない。
本紙前号の4面に書いていただいた藤田祐幸さんも、『長周新聞』の被害者だ。その藤田さんの論だが、同じような理由で、全面的には賛成しかねる。PKO法のもつ意味が、藤田説では却って矮小にならないか。(西尾)
Posted by 編集部 at 2004年01月22日 00:45