「風車」-第二二六号(一九九七年一月)
「国民不信を切って捨て」―十二月二十四日に出された九六年版『原子力白書』についての、二十五日付福井新聞解説記事の見出しだ。
「もんじゅ」事故で問われたものへの答が何ら見出せない「白書の空虚さ」に対する福井県民の強い失望感が、そこに鮮明に表わされている。むろん、その失望感は、福井県民だけのものではない。
九六年版『原子力白書』は、「国民とともにある原子力」と強調する。しかし、その中身たるや例年にまして原子力教への帰依を勧める記述の羅列。国民の意向に沿う姿勢は、露ほども見られない。原子力委員会の役割の自覚はどこにあるのか。
おまけに原子力教の経文は、それ自体が信頼性に欠ける。福井新聞の解説記事が言うのとは別の意味でも、「白書の空虚さ」が指摘されよう。エネルギー問題から説き起こしながら、環境のカの字も二酸化炭素のニの字も出てこないのだ。
原子力発電が二酸化炭素の排出を抑制し地球環境を守るというのは、ウソである。だが、ウソにせよ偽りにせよ、九四年版の『原子力白書』では、そう主張していた。にもかかわらず、九五年版にも九六年版にも、「環境」は、まるで姿を見せない。
これは、ウソを認めたわけではなく、そもそも環境のことなど、宣伝文句に使うとき以外は念頭にないのだろう。何と情けない原子力委員会であることか。(西尾)
Posted by 編集部 at 2004年01月22日 01:06