コラム「風車」342号(2006年9月)
総合資源エネルギー調査会の原子力部会が8月8日、「原子力立国計画」を決定した。「立国」とは、国家の創建を意味する。1次エネルギーのたかだか1割強を占めるにすぎない原子力で、どうやって国がつくれるというのだろう。
原子力開発がはじまったばかりの頃には、「原子力で山をくずし、運河を掘り、湖や海をつくることさえ可能になる」などといった記事が新聞に載っていた。「原子力立国」は、そんな時代の大風呂敷にこそ、まだしもふさわしい。ところが今では、原発の建設は電力会社にとって、明らかに重荷となっている。「原子力立国計画」自身がいみじくも言うように、「原子力発電に特有な投資リスク」があるからだ。
つまり「原子力立国」とは、電力会社が原子力に背を向けるのを何とかおしとどめるために「国策」を強調した苦肉の命名に他なるまい。「中間貯蔵」分の後始末費用や新増設費の引当金積立てといった会計上の優遇策などで、どこまで電力会社に原発への投資が続けられるか。いわば精神論で支えようというのだから、前途は多難だろう。
夢を高速増殖炉に託すとはいえ、実用化に電力会社も参画することを強く求めている点に、電力会社が逃げ出したがっている事情こそが透けて見える原子力立国の建国神話は、始めから成立しそうにない。(N)
Posted by 編集部 at 2006年09月25日 17:07