2004年01月21日

「風車」-第九三号(一九八五年一二月)

「風車」-第九三号(一九八五年一二月)

 山口県上関町の中国電力の原発計画地の中に、原発絶対反対のシンボルとして団結小屋が建てられた。近くもっと本格的な、人の住める建物も建てるという。

 その話を或る人としていたら、「団結小屋でなく反原発のPR館にしたらよいのでは」と言われた。PR館は電力会社の専売特許でもないだろうというわけだ。「ソフトエネルギーの展示館として、建築家やデザイナーにも協力してもらい、地域の新名所になるくらいのものをつくったらどうか」と、その人は言う。

 そういえば鹿児島県川内市の九州電力の原発近くに反対派が立てた大きくてきれいな絵看板があると聞いた。原発のある社会とない社会をならべて描いた絵で、観光客がその前で記念写真を撮っていくそうだ。

 科学博の企業パビリオンなみのソフトエネルギー館といったものではなくて、原発の問題点や地域の自然、生活などを解説したパネルなりポスターなりを展示し、さまざまの資料を揃えた原発教室ができなくはないだろう。地域の小学校や中学校から見学にくるような、反対運動をしている人だけのものでない反原発PR館がつくれたら──なんてのんびりしたことを言っていると、厳しい闘いをしている現地の方に叱られるだろうか。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:54

「風車」-第九二号(一九八五年一一月)

「風車」-第九二号(一九八五年一一月)

 旅先にて玉野井芳郎先生の訃報に接す。その夜は、次々といろいろなことが思い出されたなかに、宇治田一也氏のことがあった。

 玉野井先生にも、宇治田さんにも、お会いしたのは、昨年のエントロピー学会のシンポジウムが最後であった。宇治田さんは「来年の『市民のエネルギー白書』は原発特集をやりたい、ぜひ協力を」とその際に言われた。「原発や廃棄物の問題を、広範な人びとの議論にのせたい」と玉野井先生。これはとかく仲間うちで閉鎖的になる私たちの運動に対する、かねてからの先生の忠言であったが、この日も、その言葉を言われた。

 お二人とも、原発の非が今や火を見るより明らかになるなかで、運動の方が必ずしもそのことを説得的に示し得ていない、と自分のこととして感じていたのである。

 私の記憶にいきいきと甦えるのは、八三年夏の「反原発運動全国集会」のシンポジウムの場面である。奇しくも、お二人がパネラーとして中心的な役割を演じられ、やや異なる視点から、共に生命の立場を訴えられた。一方は静かに切々と、一方は全身で熱っぽく。

 生命の尊重のためにすべてを投げうっていた、かけがえのない先達の命が相次いで喪われたことの悲しみは大きい。お二人の遺志を、わが「反原発新聞」としても受け継ぎたい。(高木)

Posted by 編集部 at 17:54

「風車」-第九一号(一九八五年一〇月)

「風車」-第九一号(一九八五年一〇月)

 原発の建設地や計画地には、県や電力会社のPR館がある。最近は建物も飾りつけも、金のかかったものが多い。

 あちこちでよくそんなPR館に入る機会があり、この九月にも茨城と福井で、いくつかのPR館に立ち寄った。いつもながら、他に見物客はゼロまたは二、三人。事務室に入って、「静かでいいですね」と、所長さんに声をかけたら、皮肉と思ったか、「さっきまで百人ほどの団体がいたんですよ」という答が返ってきた。

 PR館の所長さんは定年間近といった感じで、話し込んでみると、けっこう本音をのぞかせもする。あるPR館では、「もう新しいところに立地をするというのは無理ですね」といった話も聞いた。

 もっともそこは卸の電力会社だから、新しく原発をつくっても電気が売れるか、との想いがあるのかもしれない。先ごろやっと引き取り先問題に一応の解決を見た電源開発の松浦火力の例では、今年初めには電力各社の受電拒否声明があったりした。「電気が余っている点では我々のところも同じ」(小林関西電力社長)、「どだい、需要もない発電所を建設することの方がおかしい」(松谷中国電力社長)というのが、受電を強要される電力会社の言い分だ。

 しかし「施設計画に見合った需要をいかに確保していくかの方が急を要する課題」(八月十三日付日刊工業新聞)なのに、なお発電所を建てようとしているのは、さて誰なのか。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:53

「風車」-第九〇号(一九八五年九月)

「風車」-第九〇号(一九八五年九月)

 日航機の大事故で、いやがうえにも事故というものを考えさせられる。

 チャールズ・ペロウというアメリカのエール大学の社会学の教授が『ノーマル・アクシデント』という興味深い本を書いている。化学プラント、空、海の事故から、原発や宇宙の事故まで、今日の危険度の大きいテクノロジーを総まくりしている。

 ノーマル・アクシデントというとらえ方自体が面白い。ノーマルとは正常(通常)のことで、アクシデントとは大異常事態だ。ところがペロウによれば、いまや巨大科学技術の事故は、「通常事故」というべきだと言う。TMIの事故が典型のように、ひとつひとつは小さなことが重なることで大事故が発生するのが、現代の事故の典型パターン。単一の原因を求めてもはっきりしない。システムの全体が事故を生みだす仕組みを内蔵しているとしか、言いようがない。まさに事故そのものがノーマルなのだという。

 ペロウによれば、飛行機事故は目立つが、事故による改良がまだしも可能で、各種の事故のなかでは、まだ許される。最も許し難いのは原発で、彼の解析では原発はあらゆる指標が最悪で、放棄するしか対策がないという。原発事故は「ノーマル事故」だから、これからまだいくらでも起こるぞ、と気味の悪い予言をしている。(高木)

Posted by 編集部 at 17:53

「風車」-第八九号(一九八五年八月)

「風車」-第八九号(一九八五年八月)

 廃炉の処分費三百億円と、どの新聞もデカデカと―中には一面トップで―伝えている。総合エネルギー調査会原子力部会の廃炉処分に関する報告書が出されたのである。

 五年から十年管理した後、原発全体を完全に解体撤去し、跡地利用するという。そのことは別に目新しい話ではないが、この報告には衣の下から鎧が透けて見えるようなところがある。

 処分費三百億円は決して安くない。しかしこれだと一キロワット時あたりにして一円にもならない。いったいこの安さのカラクリはどこにあるのだろうか。報告書には「五〇~五五万トンのゴミの九八パーセントは放射性物質として取扱う必要のないゴミで」ある。新聞もこれに疑問をはさんでいない。つまり、三百億円という低経費は、ゴミのスソ切り(放射能を放射能でないとして棄ててしまうこと)を前提としている。しかし、冗談はやめてほしい。まだ誰もそんな了承を与えていないはずである。

 もうひとつカラクリがある。廃炉の処分で生ずる廃棄物は下北半島に持って行き貯蔵する、と事もなげに書かれている。その中にはかなり高レベルのものが含まれる。これは地元、下北にとっては初耳であろう。そもそも、廃棄物の受け入れを地元は了承していない。

 それにしても、最近の新聞はどうなっちゃったのかな。(高木)

Posted by 編集部 at 17:53

「風車」-第八八号(一九八五年七月)

「風車」-第八八号(一九八五年七月)

 原発を地域開発の起爆剤に―と誘致に走ろうとする自治体が少なからずあるという。だが"原発先進地"の実情は、そんな甘い夢とはほど遠い。福島県がさきごろまとめた報告書『原子力行政の現状』の訴えに、まずは耳を傾けてみよう。

 同県の原発立地町では、確かに「財政規模は飛躍的に拡大し、このために公共施設の整備は著しく進ん」だ。しかし建設のピークをすぎた今、財政規模が急激に縮小する一方で「公共施設の維持管理費の負担増に対応しなければならず」「一時的に活況を呈していた地域経済も大きな痛手を受けることになる」。

 結局、原発の開発効果は、「商工業基盤の弱さといった地域の本質的な停帯要因は何ら変えることなく、一時的なものでしかなかったという部分が大きい」として福島県は、国の救済を求めている。これが実情だ。

 そんな実情を知らずしてか、衰えを見せない自治体側の誘致熱に、電源設備が過剰で困っている電力会社では、とうとう開発不要論まで持ち出して水を掛けるのに必死だ。五月二十九日付の東京新聞で東京電力の小牧常務いわく「開発はその地域の地縁血縁をズタズタにすることもあるんです。もちろん所得が増えるのは結構なことですが、そこそこの開発があればいいのでは」。

 これにつけ加えるべき言葉が何かあるだろうか。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:52

「風車」-第八七号(一九八五年六月)

「風車」-第八七号(一九八五年六月)

「核兵器とは何か」という、分りきったような問いが、いまあらためて問題となっている。「どんな形にせよ、核的な力、エネルギー、殺傷力などを組みこんだ兵器」と、まずここでは考えておく。これが最も常識的な考え方のはずだ。だが……。

 SDI(戦略防衛構想)に関する、最近の政府の国会答弁を聞いていると、核兵器の範囲をせばめようとする、驚くべき「非核化」政策が始まっている。「核爆発が直接殺傷力や破壊力に使われる兵器」のみを核兵器という、と言い始めているのだ。

 SDIの中心技術に、核爆発を利用するX線レーザーがある。これが核兵器でない、と政府は言いたげである。核爆発エネルギーでレーザービームをつくる。そのビームで破壊するのは核ではないというへ理屈だ。核爆発に絞るのも要注意で、最近話題となった放射能兵器やプルトニウムばらまき兵器は、なんと「非核兵器」になってしまう。

 こんな取り越し苦労のような心配をしなくてはならないのは、アメリカ政府の要請で日本もSDI研究に参加しそうな気配だからだ。SDI研究への参加は、核の軍事利用研究への突破口となること間違いない。

 中曽根流の詭弁だと「日本の防衛のために核爆発を使うのは、核の平和利用」などと言いだしかねない。反原発派ももっとこの問題に関心を!(高木)

Posted by 編集部 at 17:52

「風車」-第八六号(一九八五年五月)

「風車」-第八六号(一九八五年五月)

 電源設備の"ベストミックス論"なるものが急浮上している。原発だけを増やすような考えを改めて、さまざまな発電方式の理想的な"ミックス"を図ろうというのである。

 表向きは、それでも「原発の比率を現状の二倍くらいにするのがベストだ」と言っているが、電力会社の本音は、「もう原発はたくさん」ということだろう。原発を増やすことは、それだけ電源設備の運用を硬直化させ、全設備の利用率を下げることにほかならないからだ。

 使い勝手のよさという点では石油にまさるものはないとあって、「脱石油」の看板を下ろしにくい今はともかく、将来の"ベストミックス"としては「石油火力の比率が再び上昇することも十分あり得る」との発言まで、すでに飛び出している(川合辰雄九州電力社長──四月十五日付日刊工業新聞)。かくて、経営幹部向けの情報紙『選択』三月号の記事のタイトルを借りて言えば、「原発から九電力が撤退する日」も遠くない。

 しかし、だからこそ一方で、強引なコスト切り下げによってなんとか原子力の優位性を打ち出そうとのもくろみも、すすめられている。安全基準・被曝規制・廃棄物管理のスソ切り、建設工事や定検の手抜きなどなど。危険をいっそう増大させる末期の悪あがきだ。

 反原発運動の役割は、ますます重要になったといえるだろう。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:52

「風車」-第八五号(一九八五年四月)

「風車」-第八五号(一九八五年四月)

 二月十五日に原研大洗研究所で、イリジウム192試料を輸送容器に移し替える作業をしていた二人が被ばくした。作業員A、B(Aは原研職員、Bは下請労働者)がともに二・九レムを浴びた、というのが当初の原研側の発表だった。

 二・九レムといえば、三ヵ月につき三レムという許容線量すれすれの大きな被ばくだが、二人とも二・九レムで止まったとはいかにもみえすいた感じである。これはクサイぞ、と話し合っていた矢先に、ウソがばれた。

 許し難いのは、その後の原研の発表である。Bはフィルムバッジをつけていて、二・九レムの被ばくは間違いない。Aはバッジをつけていなかったが、作業内容と位置からしてBより線量は少なく、二・六レムぐらいだろうという。やっぱり法律に触れませんと言いたいらしいが、まだウソがありそうだ。

 原研の報告は、「安全手順の遵守」など「再発防止の対策」については型どおりに触れられているが、虚偽の報告をしていたことについては、まったく反省の色もなく、一言も触れられていない。国民が最も知りたいのは、こっちの方の「再発防止の対策」なのだが、そんなことに関心がないのが原研の体質か。いや、この方はいくらでも再発しますよ、ということかもしれない。(高木)

Posted by 編集部 at 17:51

「風車」-第八四号(一九八五年三月)

「風車」-第八四号(一九八五年三月)

 それはアメリカの科学雑誌に掲載された、目立たぬ研究論文だった。何げなく目がとまって読み進むと、たいへん気になる内容を含んでいた。

 昨年の四月に「岩手沖にキノコ雲発生」というニュースが、新聞の一面を飾ったことを覚えているだろうか。岩手沖三百キロの上空で、民間旅客機のパイロットが何人も、巨大なキノコ雲を目撃した。核爆発ではないか、と強く疑われたが、自衛隊の飛行機の採集したチリに放射能は発見されず、核爆発説は一応否定された形で、うやむやになったが、筆者にはずっと気になっていた。

 ハワイにもそのことを気にして、原因究明をしていた研究者がいた。それがこの論文である。兵器の爆発以外の可能性として海底火山の噴火との関連が検討されたが、キノコ雲との関連は否定された。論文の結論にいう。「この謎の雲は、未知の自然現象によったのか、人工の大気圏内爆発のせいなのか、どちらかであったろう」。

 つまり、人工的な爆発であった可能性が棄てきれないというのだ。研究者たちはそれ以上は言っていないのだが、ミステリーは深まった感じである。しかし、世間はこの事件を忘れ去っている。五年前の「南アの核実験」の疑惑も未だに霧の中である。そこのところが、とめどなくこわい。(高木)

Posted by 編集部 at 17:51

「風車」-第八三号(一九八五年二月)

「風車」-第八三号(一九八五年二月)

 いわゆる電源三法交付金は、発電所だけでなく、原子力発電関連施設にも交付されている。その交付対象として八五年度から新たにウラン濃縮原型プラントや"もんじゅ"を加えることを科学技術庁は決め、政令の改訂と交付額の調整作業に入った。

 電力業界紙の報ずるところでは、ウラン濃縮原型プラント向けの交付金は立地・隣接市町村の合計で四十億円強ということになるらしい。現行の、つまり七八年に実験プラントを新規の交付対象に決めたときの交付金計算式を使えば、百六十八億円になるはずだから、地元でそんな皮算用をしていたとしたら、大きく当てが外れることになる。四倍の規模の施設なのに実験プラントと同額なのだ。

 金額の大きさから考えて、見直しは無理もない。逆に言えば、七八年につくられた計算式があまりに過大だったということである。青森県に計画中の商業プラントにこの式を当てはめると、千二百六十億円にもなってしまうのだ。

 ところが、"もんじゅ"については、現行の算定式では十二億円なのを、地元の要望に応え、七十~八十億円にするという。(百十万キロワットの原発で七十億円)。何ともでたらめな話だ。その場しのぎに金をばらまいてすすめてきた原子力開発の歪みを一体どこまでふくらませようというのだろうか。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:51

「風車」-第八二号(一九八五年一月)

「風車」-第八二号(一九八五年一月)

 謹賀新年。早くもわが「風車」七回目の正月を迎える。「85年危機」などと久しく言われて来た年だ。果して波乱を呼ぶか。容易ならぬ年であることは間違いなさそうだ。

 早々から縁起でもない話だが、年頭にあえて話題にしたいことがある。他でもない、新聞を賑わした社会党の原発政策の事だ。まず実際に聞こえて来たホットな声を。「さあたいへん、さっそく抗議を」「抗議ではなく、申入れを。社会党にはとことん頑張らせなきゃ」「もうあの党には投票しないぞ」「反原発の党をつくる時が、日本でも来てるんですよね」。

 もう少しクールな反応も。「社会党でちゃんと議論するよいチャンスじゃないの」「ああいう政策は誰が立案するんでしょうね。地方でまじめに反原発をやっている私のような党員には、意見をいう場もないんですよ」「既存容認、新規反対だっていいですよ。ちゃんと新規を阻止してくれるなら。実行は容認の方だけになるんだから」。

 どこでもこの話でもちきり。つまり「社会党への期待が予想外に大きいってことですね」。最後に産業界内の某氏の"個人的意見"「うちの方がいろいろたいへんと思っていたら、おたくの方もね。お互い苦しい時代ですねぇ」。(高木)

Posted by 編集部 at 17:50