2004年01月21日

「風車」-第一〇五号(一九八六年一二月)

「風車」-第一〇五号(一九八六年一二月)

『月刊警察』の十一月号で、警察庁警備課の小山田潔災害対策官が、原子力災害に対する警察の考え方を述べている。その要点を紹介しておこう。

 まず原子力災害に当たっての警察活動の目的は「周辺住民の被害(被ばく)を軽減するとともに、周辺住民の心理的動揺及び混乱(パニック)を防止する」こととされる。特に後段に眼目があるのだろう。そのためか、避難誘導や交通規制などの活動の事前の訓練が必要としながらも、「原子力災害対策を前面に押し出した訓練は社会的影響があるので、その実施にあたっては慎重を要する」とつけ加えるのを忘れない。

 気になるのは、「原子力災害の特殊性から警察独自で判断できないものがある」と言う一方で、災害対策の中心活動は警察が担うことを宣言し、「現地災害対策本部に警察の意見を強力に反映していくことが不可欠」などとしている点だ。避難などの指示も、国の緊急技術助言組織の助言などに基づき対策本部が行なうとされているが、「状況によっては、警察がその指示を行う」という。

 もしも警察的発想が原子力災害時に表面化したら、むしろ、いっそうの混乱は避け難い。核物質防護にからめつつ原子力の分野での警察の権限拡大が策されていることと合わせ、警戒が必要だ。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:59

「風車」-第一〇四号(一九八六年一一月)

「風車」-第一〇四号(一九八六年一一月)

 いまヨーロッパで日本の原発がどうみられているのか。たった三週間足らずの旅行だったが、一般の市民、運動家、新聞記者などから、たくさんの質問を受けたので何かの御参考に。

「日本に原発があるとは知らなかった。ヒロシマ、ナガサキはもう忘れられたのか」「非核三原則があっても原発をもてるのですか」「日本にも反原発運動があるの」。これらは、あまり日本のことを知らない人たちの質問だ。しかし、これらのいちいちがなんとぐさりとわが胸につきささることよ。

 次はもう少し日本のことに詳しい人たち。「えっ、日本もいよいよ第二再処理計画を強行?日本もやっぱり原爆をつくるのかい」(これは繰返しなされた質問)。「社会党の委員長にドイが就任して、反原発方針のぐらつきも収まるとみてよいだろうか」「ソウヒョウはいったいどうなっちゃったの」。このあたりになると返答に苦労する。

 次にはたいへん日本に関心をもっている人の言葉。「チェルノブイリのすぐ後に総選挙があって、原発問題がいっさい争点にならないっていうのは、どういうことなの。反原発運動は選挙の時、何をしていたの。どうもあんたの説明ははっきりしないよ。もうちょっと納得いくように説明してよ」。どなたかうまく彼に説明してやってくれる人はいませんか。英語でよいのだけど。(高木)

Posted by 編集部 at 17:59

「風車」-第一〇三号(一九八六年一〇月)

「風車」-第一〇三号(一九八六年一〇月)

 宮内庁の職員と名乗る人物から、わが事務所に電話が入った。チェルノブイリ原発事故による日本の農作物の汚染の危険度を知りたいという。

 科学技術庁からデータをもらい、説明は受けたのだが、よくわからないので―ということだった。つい適当に答えて済ませてしまって、後で大阪のKさんから、東京の人はダメだねえ、と叱られた。そういうときは、すぐにサンプルを持って来て下さい、と答えるべきなのだ。

 自然食品ばかりを食べている象徴一族の食卓にはこれだけの放射能が、と発表できる好機を、みすみす逃がしてしまった。が、それはそれとして、科学技術庁の「安全宣言」なるものが、政府内ですらおよそ信用されていないことは興味深い。

 もう一つ、おもしろいエピソードを紹介しておこう。こちらは実体験でなく、人から聞いた話なのだが、或る原発批判グループが開いたソ連事故シンポジウムに東京電力の副社長が、自ら出席していたらしい。表向きの「日本の原発は別」発言とは裏腹に、それだけ彼らは真険なのである。

『原子力工業』などの専門誌も、「原発事故を軽く考えようとする空気をなくしていくことが重要」と主張している。といって、すぐに原子力開発が止まるなどとは考えられないが、大きな流れは、やはり変わってきていると言ってよいだろう。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:58

「風車」-第一〇二号(一九八六年九月)

「風車」-第一〇二号(一九八六年九月)

 原子力委員会の高温ガス炉研究開発計画専門部会が「商業性が当面見込めないため、実用炉建設は見送るべきだ」との中間報告書をまとめた。

 毎年毎年五十億円ずつ国家予算を注ぎ込みつづけた挙げ句の実用化断念である。先見性の無さは呆れるばかりだが、さらに驚くべきことに、実用化はあきらめながら、試験研究炉の建設は認めるという。その建設費の見積り額が、何と九百億円とか。

 この中間報告書が明らかにされた前日、高温ガス炉開発の主体でもある日本原子力研究所は、原子力船「むつ」の原子炉設置変更の許可申請を行なった。原子炉の使用目的は「実験航海、乗務員養成および貨物輸送」から「実験航海」のみに変更する。ここでも、実用化は望めないまま、名ばかりの試験研究に、なお一千億円の国家予算を注ぎ込むというわけだ。

「原子炉の多目的利用」をうたった高温ガス炉、「原子力船時代」を掛け声とした「むつ」……。華やかだった昔日の大PRのツケが計画の完全放棄をためらわせるのだとしたら、いま行なっているPR活動も見直してみるのが身のためだろう。

 新型転換炉、高速増殖炉、核融合と、どれをとってもやがて同じ道を辿ることは明白。すでに予兆もあらわれだした。PRのウソの皮のはがれるまでの時間は、どんどん短かくなってきている。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:58

「風車」-第一〇一号(一九八六年八月)

「風車」-第一〇一号(一九八六年八月)

 近ごろベクレルという耳慣れぬ言葉に出会った人も多かったのではないか。ピコキュリーという放射能の単位に、さんざん悩まされて、ようやく慣れたと思ったら、今度はベクレルである。

 ベクレルは、キュリーという以前からある単位を、新しい国際単位系(SI単位系)でおきかえたもので、一ベクレル=二十七ピコキュリーである。いやそのことはどうでもよかった。問題はベクレルである。

 フランスの物理学者、アンリ・ベクレルがウラン鉱石の放射能を発見したのは、今からちょうど九十年まえのことであった。それから二年後には、ポーランドの女性化学者、マリー・キュリーが放射能の正体の物質、すなわち放射性物質ポロニウムとラジウムをつきとめた。これがいわば原子力の始まりだ。

 帝政ロシアの圧政にくるしむポーランド民衆にとって、パリでのマリーの成功はどれだけのはげみとなったことか。しかし、そのマリーは、放射能の病に斃れた。

 放射能発見以来九十年にして、今チェルノブイリからの放射能雲は世界を襲い、ベクレルやキュリーの名は単位の呼称となって、新聞紙面をにぎわした。強い放射能に見舞われたポーランドの人々は、キュリーの呼称をどんな思いで聞いたことか。

 ポーランドの人々ならずとも、この九十年の歴史を、ここらでじっくりとふり返ってみずばなるまい。(高木)

Posted by 編集部 at 17:57

「風車」-第一〇〇号(一九八六年七月)

「風車」-第一〇〇号(一九八六年七月)

 チェルノブイリの事故の後で、日本の多くの人びとが原発についてどう考えているかを、毎日新聞社の世論調査の結果は、上段に掲げたグラフのように示した。

 同社ではもうひとつ、興味深い調査を行なっている。衆参同時選挙の候補者を対象とした、同じ設問のアンケートだ。六月二十八日付の紙面に載っている政党別の調査結果の分析が教えるところを見てみよう。

 衆院で七三パーセント、参院で八六パーセントが新規開発に反対という公明党を中にはさんで、推進寄りに民社、自民、反対寄りに共産、社会と、常識的な結果ながら、全体として反対寄りという印象が強い。特に自民党が、積極開発派と新規開発反対派の対抗関係を見ると、衆院では三八パーセント対三九パーセントとほぼ拮抗。参院でも四〇パーセント対三三パーセントと、反対派の多いのが目立っている。

 自民党の派閥別となると、もっと面白い。首相派閥の中曽根派が硬直した積極開発論から抜け出せずに四七パーセント対二五パーセントと反対派が少ないのを尻目に、利権屋の田中派は、風見鶏のお株を奪ったかのごとく反対派に鞍変えして二六パーセント対四六パーセントと、圧倒的に反対派が優勢なのだ。鈴木派、河本派も反対派のほうが多い。

 右のデータだと自民党圧勝の新国会でも新規建設反対は圧倒的多数派だろう。それでも、原発推進が国策とは、何たる不可思議。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:57

「風車」-第九九号(一九八六年六月)

「風車」-第九九号(一九八六年六月)

 蓼食う虫も好き好きという諺にいう。蓼の虫は蓼で死ぬ、ともいうらしい。放射能を食う虫もあるのだろうか。放射能を食いものにして私腹を肥やす虫は、この国にうようよしているのだが。

 バクテリアには、強烈な酸である硫酸や硝酸を食って生きているものもある。ほとんどあらゆる化学物質について、必ずそれを食う菌があるといっても過言でないらしい。その性質を利用して放射性廃液やその残渣などをバクテリアで分解し、減容化したり固化することをまじめに考えている研究者も、実際にいるらしい。

 そんな研究はうまくいきそうにないが、イギリスからの次のような便りはおそろしい。ある機関が放射性廃棄物の処分候補地につき調査をしたところ、どこでも地層中からバクテリアが発見され、専門家たちは頭を悩ましているというのだ。

 鉄を食うバクテリアもいれば、イオウを食って硫酸を生じるバクテリアもある。そんなバクテリアが地層処分をした放射性廃棄物のそばに生きていたとしたら、容器をいずれは腐食する。イギリスでは、ひそかにバクテリア対策の研究プロジェクトを開始したとか。

 地下で何が待ち受けるか、まして何百年何千年先ということになると、わからないことだらけだ。いかなる放射能も埋設処分をすべきでない。(高木)

Posted by 編集部 at 17:56

「風車」-第九八号(一九八六年五月)

「風車」-第九八号(一九八六年五月)

「甲状腺は、甲状腺ホルモンを分泌して体の全般的物質代謝を高め、成長や発生などを促進する。ヨウ素約十ミリグラムを含む」(『生物学辞典』)。放射性ヨウ素もこの甲状腺に集まってきて、機能低下やガンの原因となる。

 キエフからの日本人の帰国者が、六万ピコキュリーものヨウ素を甲状腺にとりこんでいた。いったい現地の人びとはどうなっているのかと、心配が募る。旅行者の様子だと、少し離れた住民は何も知らされず、強い汚染下に生きているらしい。まったく政治権力はおそろしい。

 ソ連のことばかりも言っていられない。五月四日、岡山で水道水にヨウ素が検出された、と報道された。ところが五日には、科学技術庁が介入し、「水道水にも放射性ヨウ素」のショッキングな報道は、訂正された。しかし六日、岡山県環境保健センターは、「やっぱりヨウ素を確認」と対抗した。

 国民の安全を守るべき政府が、データ隠しにまわっている。今さらのことではないが、こういう事態になるとつくづく恐ろしい。キエフからの帰国者の、頭髪や衣服の汚染なども相当なものだが、「軽微な汚染」「健康に害なし」が、科技庁の発表だ。

 ヨーロッパに電話してみたら、どの国も似ている。権力者たちが「危い」と言い出す頃はすでに手遅れだと、西ドイツのHも言っていた。今ほど国際的ネットワークの必要なときはない。(高木)

Posted by 編集部 at 17:56

「風車」-第九七号(一九八六年四月)

「風車」-第九七号(一九八六年四月)

 国が行なうべき検査などを、民間機関に代行させられるようにする、原子炉等規制法の「改正」案が国会に上程された。原子力開発をすすめる上で、なぜ民間代行が好ましいとされるのか。一つの見方を紹介しよう。

 電力業界の出資でつくられた日本エネルギー法研究所の『月報』で、同研究所理事の山内一夫学習院大名誉教授が、国による検査の弊害を指摘していわく―「第一は、検査基準の強化に基づく弊害である」。「国民の人命尊重・健康尊重を求める意識は極めて強い」ため、「政治は、国民の心情にこたえ、検査基準の強化に向かう傾向がある」。これはマズイ、というわけだ。

 なぜか。検査基準の強化は次のような弊害を招くからだ、と山内理事は言う。(1)検査要員の増員を必要とし、行政の軽量化の要請に反する。(2)検査基準を国際水準から乖離させる。(3)技術の進歩を妨げる。(4)強化された基準の遵守は多大の経費を伴うことがある。最後の④については、ごていねいに「そのため、しばしば検査基準の実際の適用について緩和が図られる」(!?)との注釈つきだ。

 そして、国による検査の弊害の第二。これがすごい。「国家の責任を担っているから、検査の判定について政治的思惑が混入し易い」。

 現行の検査の実情を垣間見させるという点でも"貴重"な指摘、と言えようか。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:56

「風車」-第九六号(一九八六年三月)

「風車」-第九六号(一九八六年三月)

 高レベル廃棄物に対するアメリカの新しい基準が決まった。それによると、地層処分に対しては、一万年を対象期間として安全を取り扱い、その期間内の漏れを○○キュリー以下に抑えると、核種ごとに規定する。

 一万年でもまだ短かい、という批判の声がすぐにも聞こえるが、一万年であっても法規制の対象としては、気の遠くなる長さだ。法をつくった人びとも、その基準が一万年先までの法規制力をもち得ないことを認めている。浅い地層に埋められる廃棄物など、たとえば、何十年に一度起こりうるような洪水で、ひとたまりもないだろう。

 世界の各民族は、ほぼ一様に洪水伝説をその神話の中にもっている。旧約聖書の「ノアの箱舟」の話の成立がおよそ三千年前か。そのもとのシュメールの洪水伝説は、四千数百年前にさかのぼれる。わずかに残されたシュメールの粘土板の破片の写真をみていると、神話の起源の時代は、はるかに想像の彼方だと思い知る。たった四千年ほど前のことなのだが。

 日本の自称専門家や役人たちも、この頃、「高レベル廃棄物も千年後にはウラン鉱なみに」などと気易くいう。いったい彼らに千年後を語る資格があるのか。

 鉄と金(武器とカネ)の文化を戒めるために天が洪水をもたらしたという、洪水伝説の寓意が、いまひとしお重く心に響く。(高木)

Posted by 編集部 at 17:55

「風車」-第九五号(一九八六年二月)

「風車」-第九五号(一九八六年二月)

 消費者が節電タイプの冷蔵庫に買いかえると、電力会社から八万円の奨励金がもらえる。病院などで断熱基準を満たす建物を建てれば、それによって節電できる契約容量一キロワットにつき四十八万円が電力会社から支払われる。

『電気協会雑誌』の一月号に紹介されている、アメリカの民間最大手の電力・ガス会社、PGE(パシフィック・ガス&エレクトリック)社の例である。そして、「アメリカではこうしたことを行なっているのは何もPGE社だけではなく、他にも追随する電力会社が増加している」のだという。

「供給から販売へ」を今年の旗印として掲げた東京電力など、需要拡大にひた走る日本の電力会社の目で見れば、「半信半疑になってしまう」のも無理はない。

 しかし、一見すると自分の首をしめるかのようなアメリカの電力会社の姿勢だが、その動機は「自分の為になるから」だ、と右の紹介は言う。というのも、「エネルギーの節約はエネルギーの生産より五分の一~七分の一の経費で済む」からである。

 そうして浮かした設備投資資金を、PGE社では更新性エネルギーの研究開発と、既存設備の耐用年数を延ばすことに振り向けている。日本の電力会社はこれを単に設備投資軽減の「賭け」と見て、「成り行きを注目」しているだけでいいのだろうか。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:55

「風車」-第九四号(一九八六年一月)

「風車」-第九四号(一九八六年一月)

 新年おめでとうございます。今年もよろしく。

 このところ、政府・原子力産業側は「将来ビジョン」ばやりである。総合エネルギー調査会は、なんと二〇三〇年を見通す長期ビジョンをつくるというし、資源エネ庁も「二一世紀エネルギービジョン検討委」を発足させた。原子力委は原子力開発利用長期計画の書き直しをするという。電事連もビジョン、ビジョンと動き出した。

 八〇年代もいよいよ折り返し、世紀末に向かって原子力産業は明らかに下り坂。「夢の原子炉」やプルトニウム経済に期待をかけていた、一昔前の世紀末イメージはすっかりメッキがはげた。ここらでスケジュール遅れの手直しをしながら、看板の書き直しをしなくては、というのが、ビジョンばやりの理由だろう。

 もともと原子力屋さんというのは、実現もしない計画を言いたてて、人心をまどわせてきた連中だ。ピカピカの看板がなくては、やっていけなかろう。しかし数年先のことなどは、いくら美味そうな絵を書いてもすぐにウソがバレる。そこでなんと二〇三〇年のホラを吹こうということらしい。

 今やその手は通用しないから、勝手におやりなさい、と言いたいが、一昔前に自分たちがなんと言っていたかだけは、覚えておいてもらいたい。なにしろ一九八五年度末には、原発規模六千万キロワットは必要、などとつい七、八年前まで言い続けてきた連中なのだから。(高木)

Posted by 編集部 at 17:54