2004年01月22日

「風車」-第一四一号(一九八九年一二月)

「風車」-第一四一号(一九八九年一二月)

 前号の「反原発講座」で、高速増殖炉の実用化は難しく、プルトニウム利用の道はない―と書いた。その後、新たな情報が伝わってきたので、紹介をしておきたい。

 十一月十三日付けの電力時事通信によれば、フランス原子力庁が同国の高速増殖炉スーパーフェニックスを「増殖炉」として使わない方向で検討に入った模様という。どうするのかというと、ブランケット部(燃料のまわりにおくウランで、これをプルトニウムに変え、増殖する)を取りはずし、単に燃料のプルトニウムを燃やすだけとするわけだ。

 まだ「検討に入った模様」という話だが、それだけプルトニウムの剰余量を増やすことへの警戒心が強いのだろう。むしろ高速増殖炉を「プルバーナー(プルトニウム焼却炉)として、剰余量を減らそうとの考え、と言ってよい。もちろん、高速増殖炉で燃やした後の燃料は、再処理しないことになる。

 となれば、そもそもいまの原発の燃料も、再処理しないほうがいいに決まっている。十一月六日付けの電力時事通信には、ベルギー、オランダ、スウェーデンの三国がフランス核燃料公社に対し、ラ・アーグ再処理工場のUP3工場の運転延期を申し入れたらしい、との記事があった。

「わが国電力会社はこの事態を重視、三国の真意を探り始めた」という。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:26

「風車」-第一四〇号(一九八九年一一月)

「風車」-第一四〇号(一九八九年一一月)

 原子力安全委員会は、その設置法によれば、原子力利用における「安全の確保のための規制」などをつかさどる機関である。しかし委員のセンセイ方は、そうは思っていないらしい。

 先ごろ発行された『原子力安全白書』には付録として十二項目のQ&Aがついていて、その前書きで「原子力の安全性に関する理解を一層深めていただく一助となることを期待する」というのだ。「我が国の原子力発電所においてはシビアアクシデント(設計上の想定を超える大事故)が発生することは現実的には考えられません」などと、電力会社になり代わって答えるのが仕事だと、センセイ方は考えているようなのである。ならば、こんな問いにも答えてくれないだろうか。

 炭酸ガスの放出による温室効果を心配しながら、なぜ石炭火力を次々とつくるのか。地球環境を守ろうというならなぜ、現に設置されている公害防止機器すら普段はつかわずに済ませているのか。第三世界の人たちに石油を残そうという一方で、なぜ石油火力を新設するのか。省エネルギーには限界があるといいながら、せっせと「需要開拓」を行なっているのはなぜなのか。

 おっと、間違えた。原子力安全宣伝委員会としては自ずと受け持ちの範囲があるだろう。やはり直接電力会社に聞くしかないか。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:26

「風車」-第一三九号(一九八九年一〇月)

「風車」-第一三九号(一九八九年一〇月)

 各地の放射能測定の活動から飼料用脱脂粉乳の汚染の実態が明らかになってきた。生後一週間ほどで母乳から切り離された子牛や子豚に代用乳として約一~二ヵ月にわたって与えられるもので、これがすぐに牛乳や肉の汚染につながるかどうかは微妙な問題だが、成長期の子牛・子豚の内部被曝による遺伝的影響などが心配だ。

 チェルノブイリ事故以前はオーストラリアやニュージーランドが主な輸入国だったのが、八七年以降はヨーロッパ諸国に移行してきている。汚染値が高く食用としては使えずにデッドストックとなっている脱脂粉乳が、巧妙に世界中にばらまかれていることを示唆しているが、アジアやアフリカの国々に乳幼児用の粉ミルクとして出回っている可能性も懸念される。

 つい最近も放射能汚染の疑いのある欧州産の冷凍牛肉が西アフリカで売られてパニックが広がっているニュースが伝わってきた。ECの新基準値をめぐっては、飼料について豚用一二五〇、子牛用二〇〇〇、その他の食用以外の動物用四〇〇〇ベクレルというとてつもなく高い値が提案されている。今後ますます厳しい監視が必要となってくる。

 輸入国を変えればとか、汚れたものは食べないということでは解決しない問題だが、広く議論を起こし解決の途を探りたい。(渡辺)

Posted by 編集部 at 00:25

「風車」-第一三八号(一九八九年九月)

「風車」-第一三八号(一九八九年九月)

 石川県珠洲市での原発計画は、関西・中部・北陸三電力の「共同開発」とされる。具体的には、関西が高屋地区に、中部が寺家(じけ)地区に建設するのに、地元の北陸が参加する──というものだ。

 建設費の一部を北陸が負担し、応分の電力を受電することになるのだろう。同様の例として東京電力の福島第二3・4号炉、柏崎1号炉に、地元の東北電力が参加している。

 大型原発は、スケールメリットにより運転コストの単価は安くなるが、建設費が巨額となり、また、小回りがきかない弱点をもつ。そこで、このマイナス面をカバーしようと、大電力会社が中小の電力会社にもちかけているのが「共同開発」だ。もちろん、自社の管内ではなかなか立地できる地点がないという事情も大きい。一方、中小の電力会社にとっては、自社単独ではつくりにくい大型原発の経済性を享受できる利点がある。

 ところが、共同開発に参加すると思わぬ重荷を背負いこむかもしれないという事例が現実化した。北陸電力としては大ショックだ。福島第二3号炉の事故で東北電力が、修理費についても建設費と同じく四分の一の出費を迫られたのである。おまけに同炉が長期停止中でも減価償却や金利負担はつづくわけだから、たまらない。

 それでなくとも、経済性はいまや火力に劣る。撤退こそ最善は明白だろう。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:25

「風車」-第一三七号(一九八九年八月)

「風車」-第一三七号(一九八九年八月)

 政府が原発推進姿勢を持ち、国会内には多くの推進派がいる──そんなユーゴスラビアで、原発の建設を禁止する法律が産声をあげた。六月十五日のことである。

 しかも、その法律の条文は、きわめて厳しいものだ。建設が禁じられたばかりではない。投資の計画を立てたり、建設のために必要な書類をつくったりすることも、違法となる。そして、違反者には、懲役六ヶ月から五年という重罰が科されることになる。

 この法律の成立までには、侃々諤々の議論が国会の内外で闘わされたらしい。だが、法律が成立した結果、ユーゴスラビアの原子力開発の計画は、その命脈を絶たれた。ただ一基運転中のクルスコ原発の停止は想定されていないとはいえ、それだけでは原子力産業の維持は不可能だ。

 世界初の原発禁止法がオーストリアでつくられたのは、一九七八年十二月十五日。そのときも、政府は原発推進で、反原発の議員は必ずしも多数でなかったという。にもかかわらず、同国やユーゴでは、世論に追いつめられて、原発禁止法が成立を見た。

 日本では、過日の参院選で、脱原発を最前面に掲げた人びとの当選こそ果たせなかったものの、これまで以上に多くの脱原発派の議員が誕生している。しかしなお、脱原発法の成否の鍵は、議会の外にあると強調しておきたい。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:24

「風車」-第一三六号(一九八九年七月)

「風車」-第一三六号(一九八九年七月)

 東京都三鷹市大沢六丁目の野川のほとりにある水車を見てきた。水車といえば水辺のノスタルジックな風景をなんとなく想像していたが、この水車は建屋の中央にドッシリと存在し、野川の改修工事が始まる一九六八年の暮れまで、米をつき、粉をひいていた。

 水車の持ち主、峰岸清さんの話によれば終戦のころ大沢には四軒の水車小屋があったそうだ。水車本体だけではなく、水車の動力で動く十四本のキネ、歯車も軸受けもすべて木製。栗やけやきなど、それぞれの材質の特性を生かしたすばらしい装置だ。

 峰岸さんのおじさんが設計し、大正八年に完成したもので、愛着があり、電動の機械を使うようになってからも装置全体をそのまま残した。手入れもしているので、水さえあれば今でも動くという。私たちが住んでいる地元にこんなスゴイものがあったなんて、そしてつい二十年前まで動いていたとは。

 いっしょに見学した仲間で、私たちのくらしの周辺からエネルギー問題を考えようと計画が進んでいる。各家庭の電力使用状況を家族構成・職業・住宅条件など様々な条件での相違を調べたり、ここ数十年の生活の変化を家計簿などを材料に把んでみようと。

 野川に水車が回っていたころと、現在の私たちのくらしのあり方をしっかり対比させてみたい。(渡辺)

Posted by 編集部 at 00:24

「風車」-第一三五号(一九八九年六月)

「風車」-第一三五号(一九八九年六月)

 ベトナムから横須賀に向かう途中の米空母タイコンデロガが沖縄近海にさしかかった一九六五年十二月五日、一メガトンの水爆を積んだA4Eスカイホーク攻撃機が甲板から滑り落ち、水没した。

 そのことが四半世紀近くも経ってやっと明らかになったことに、やりきれない怒りを覚える。事故が明らかにされたいまも、米日両政府の姿勢は少しも変わっていない。さらに怒りはつのるばかりである。

 水没した水爆は破損し、核物質は流出したものの、海底に沈殿したはず―というのが、米政府の説明であり、それを日本政府も喜んで認めている。だが、そんなことを誰が信じられようか。海水中でプルトニウムの挙動、深海での水の流れ、魚介類への濃縮、食物連鎖については、わかっていないことが多い。しかし、わかっている範囲だけで考えても、米政府の説明のウソは見えすいている。

 腹立たしく、また、いやらしいことに、タイコンデロガの事故は、核兵器事故の氷山の一角だ。原子力艦船の事故も多い。用済みになった原子力艦船を原子炉ごと捨ててしまうことまで、米海軍はやっている。

 そんな国の政府や、その言いなりになっている国の政府が、「環境を守るために原発の推進を」などとは、盗っ人猛々しいもいいところだよね、まったく。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:23

「風車」-第一三四号(一九八九年五月)

「風車」-第一三四号(一九八九年五月)

 日本の研究用原子炉の照射済み燃料がアメリカで抗議デモの洗礼を受けた。原研大洗研究所の材料試験炉JMTRで燃やされたものである。

 JMTRの燃料は米国産で、照射後はアメリカに返されることが、古い契約で定められている。そこで毎年、燃料交換のたびにアメリカに送られていた。それがなぜ、今回、抗議の対象になったのか。

 それは、これまでは直接アメリカに、一般の貨物船で運ばれていて、知らぬ間に輸送が行なわれていたからだ。ところが今回は英核燃料公社が使用済み燃料専用の輸送船を使って、英国経由で運ぶことになり、同公社が正直に発表してしまったために、大騒ぎとなった。

 抗議のグループが懸念するのは、照射済み燃料から取り出された核物質が、法に違反して核兵器に転用されることではない。サバンナリバーの軍用炉の燃料として、トリチウムの生産に一役買うのでは、との疑いだ。

 正直なところ、そんなことは現実にはありそうになく思える。といって、JMTRや他の日本の原子炉の照射済み燃料の行く方に無頓着であってよいということには、ならないだろう。それを教えてくれた海の向こうの仲間たちに多謝。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:23

「風車」-第一三三号(一九八九年四月)

「風車」-第一三三号(一九八九年四月)

 四月一日から消費税なるものが実施に移された。わが反原発新聞は非課税だが、製作・発送費などのコストは上がる。腹立たしい限りだ。

 一方、物品税や電気税がかからなくなって、ゼイタク品は値下がりとか。しかしこれは、エネルギー多消費の拡大をこそ促す。地球規模の環境問題が広く論じられるようになってきたというのに、まさに逆コースである。

 本気で環境への影響を考えるなら、むしろ「エネルギー多消費税」をかけるくらいのことがあっていい。なのに、電気料金の値下げも、かつての「省エネルギー型料金体系」を崩すことに力点がおかれている。高めの需要想定に合わせて発電所をつくりすぎたので「需要を拡大しなければなりません」(渡辺哲也九州電力社長、一月一日付電気新聞)というのが、電力会社の姿勢だ。

 もっとも、電力会社にしても、いまのような電気のつかい方が必ずしもしあわせなものとは思っていないらしい。三月二十五日の電気記念日のポスターはこういう。「むかし くらやみには おばけが たくさん住んでいました 今はどこへ 引っ越したのか……明るい世の中 きらいなのでしょう 愛嬌のある あの顔々に たまには 逢ってみたいものです」。

 明るい世の中で失われたものの大きさを、もう一度考えてみたい。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:22

「風車」-第一三二号(一九八九年三月)

「風車」-第一三二号(一九八九年三月)

 スリーマイル島原発事故から十年が過ぎようとしている。まだ赤ん坊だった息子をかかえていた私は、テレビのニュースで赤ちゃんを抱いて避難する母親の姿を見て、その恐怖感を想い胸がつまった。

 そのころの私は、「人間は放射能とは共存できない」という確信はあったが、まだ原発についての問題意識もちゃんとなかったし、ましてや反原発新聞に関わるようになるなんて想像もつかなかった。

 チェルノブイリ事故をきっかけにようやく原発は自分自身の問題なんだと目覚め、動き出し、反原発新聞にも関わり始めた二年前の三月、メアリー・オズボーンさんが来日し、各地で講演を行なった。彼女はTMI原発から約九キロメートル離れたハリスバーグ郊外に住む二児の母親で、事故の体験やその後の活動の内容を具体的に語ってくれ、植物好きの彼女自身の手で集めた巨大タンポポなど異常植物のサンプルを見せてもらった。

 この報告で改めて事故の大きさを知り、彼女たちの生活に根ざした地道な活動に感銘を受けた。普通の人びとの、何よりも大切なものは生命、おかしいことはおかしいという"常識"を基本に据えた運動の確かさを感じた。

 チェルノブイリ以降、日本でも大きく反原発運動が広がったのも、そうした確かさがあるからだろう。(渡辺)

Posted by 編集部 at 00:21

「風車」-第一三一号(一九八九年二月)

「風車」-第一三一号(一九八九年二月)

 エコロジカルな国際エネルギー情報紙『wise』の一月二十日号が届いた。

 トップ記事は、昨年十月、初のラテン・アメリカ反原発会議がアルゼンチンで開催されたこと。以下、台湾やインドの反原発の動きが紹介されている。脱原発に向けた流れはヨーロッパだけのものでないと、実感される内容だ。

 そこで、対する原発推進派のほうはと見ると、この一月には東京で、高まる反原発の世論にどう臨むかを話し合うシンポジウムが開かれたらしい。海外の推進国や国際的な推進機関からの参加者をふくめてのパネル討論も持たれたが妙案はなく、「ともかく安全運転の実績をつくるにしかず」といったところに落ちついたとか。だが、実情はどうか。他ならぬ日本の原発の事故は、昨年、ほぼ一週間に一度の頻度で起こり、しかも「前例のない」重大な事故が継発している。

 ならば事故を事故でなくしてしまおう、というのが推進派のいつもの手口。原子力船「むつ」の事故を報じる見出しも、原子力産業新聞では、「燃料などに軽微な不具合」で済まされてしまう。電気新聞に至っては「制御棒の腐食以外に異常はなし」というのだから、おそれ入谷の何とやらだ。「原発反対は感情論」が聞いて呆れる。

 まず現実を見つめることを、原発推進派にはおすすめしたい。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:20

「風車」-第一三〇号(一九八九年一月)

「風車」-第一三〇号(一九八九年一月)

 理くつとこうやくはどこにも付く。しかしまぁ次々色いろと、原発推進の必よう性とやらの理屈を繰り出してくるもんだ。

 安いの綺麗のと、とうぶんの間はその場かぎりのあん易な理屈づけが猫の目よろしくつづきそうである。おちついて考えてみると、だが、原ぱつとは奇妙なエネルギーげんだ。原発以外のエネルギーげんでは、普及するのに特だんの理屈は要らなかったのではないか。

 水の低きに流るにも似て自然と、あたらしい、あん価で、つかい勝手のよいえねるぎい源が、ことさら熱べんを振うまでもなく、その地ほを占めてきた。しかるに、そうはいかなかったのが、原発というわけだ。政治の力なしで推進できない、理くつでおめかししないと推進できないおかしなエネルギー源となっているのである。

 いまでは推しんしている当の電力会社もまた、実のところはもういやけがさしているのに、これがあらたまらないのも、正にそんな政治力エネルギーのいんねんゆえだろう。私たちがあん心して生きていける世をねがうなら、私たちが自身でだつ原発を実現し、世界中の原ぱつを止めるしかない。

 脱げん発には理屈は要らない。脱げん発に世界が向かうのは、つまりそれこそが自然なことだからなのである。(西尾)

Posted by 編集部 at 00:19