「風車」-第一五三号(一九九〇年一二月)
十月号に掲載した福本敬夫さんの「ソフトエネルギーとのつき合い方」は、もともとは「停電のすすめ」と題されていた。福本さんお気に入りの題を変えてしまったことに、まず陳謝。
ところで、十月三十一日付の日経産業新聞に、もうひとつの「停電のすすめ」が出ていた。アメリカのワシントンDC周辺で、「緊急時の停電を了解するかわりに、六~九月の四ヵ月間の電気代から総計四十五ドル割り引く恩恵が受けられる」しくみがつくられているというのだ。
電力需給が逼迫した七月五日の午後、実際に停電が行なわれた。ある家の電気を十五分~三十分くらい切り(二つの電力会社で、違いがあるらしい)、復活するのと交代に別の家の電気を切る。切られたほうの不便はなるべく小さくしながら、全体としては効果的な需要カットができる、輪番制の停電である。
現在、全世帯の一五パーセントに当たる九万世帯が、この制度に加入しているとか。その名も「キロ・ウォッチャー・クラブ」と言い、自分の消費電力のキロワット数に注目し、節電意識を普及させる意味を込めた命名だという。
「停電のすすめ」は言い過ぎかもしれないが、無思慮に電気を使っていれば停電がありうることと、そのときの対応の仕方をきちんとPRする電力会社の姿勢は興味深い。(西尾)
「風車」-第一五二号(一九九〇年一一月)
福島第二原発3号炉の運転再開が、とうとう強行されてしまった。この暴挙に大きな役割を果たしたのが、原子力安全委員会の"お墨つき"だ。
同委員会は、先に通産省・資源エネルギー庁がまとめた「健全性評価結果」の内容を、妥当なものであると認めた。その理由が振るっている。再循環ポンプ水中軸受けリングの共振を「全く無くすことは困難」だから、溶接の強度を増して「共振に対して十分耐えられるようにするという通商産業省の再発防止策は、現実的な策であると考えてよいであろう」というのだ。
原子力安全委員会とは、「安全性」に非ずして「現実性」を判断する委員会だったのだろうか。「安全性」については、同委員会は、次のように言う。「完全溶け込み溶接を採用した水中軸受けリングの使用経験がいまだ十分には蓄積されていないことをも考え合わせ、なお念のため今後の監視を入念に行うのが慎重な態度というべきである」。
嗚呼、なんたる自信のなさ! にもかかわらず「現実的」には、おっかなびっくり運転を再開するしかないなんて、これじゃあ安全委員会としても、安全宣伝委員会としても、失格だ。
再開を強行してまた事故が起きたら、もういっぺん「事故防止対策を事前に確立しておくべきであった」と反省してみせるつもりかしら。(西尾)
「風車」-第一五一号(一九九〇年一〇月)
東京・国立市議会は九月二十五日深夜、「東京電力福島第二原発3号炉事故に関する意見書」を与野党全会一致で可決した。
この問題をめぐっては国分寺市議会も同旨の意見書を採択、町田市議会では議員提案による意見書が採択されるなど、東京・埼玉・神奈川の自治体で、運転再開に慎重な対応を求める動きが広がっている。
意見書は、市民団体「原発の大事故が本当に怖いと思う市民一同」が提出した陳情書が下地となっていて、「原発事故の不安と放射性廃棄物の難題と、労働者被曝を避けることのできない原子力発電への依存度を減らすためにも、省エネルギー・節電に励みPRに努める」という画期的な内容が盛り込まれている。
科技庁は「原発の依存度を減らすというのは自民党の政策と矛盾するではないか」と当然渋い顔だが、自民党東京都支部連合会は「文章には問題があるが、安全性重視という趣旨だからしようがない」という態度らしい。また賛成した自民党市議によれば、「東京電力にも聞いたが問題なかった」とか。東電も原発はやりたくなくなってきているのかしら。市民の声をしっかり受けとめてほしい。
十月四日、原子力安全委員会は運転再開は妥当という結論を出した。市民の不安、抗議の声をまったく無視しようというのか。(渡辺)
「風車」-第一五〇号(一九九〇年九月)
放射能のゴミを後世代に残すのは犯罪に等しい―と、私たちは指摘してきた。ところがいま、原子力開発を進める側からも同じ言葉が聞かれる。
九月号の『原子力工業』で中村尚人氏はこう言うのだ。後世の人々に廃棄物を管理させるなどとは現代人のエゴである、と。では、どうするのか。地下に埋めて捨ててしまうのがよい。あれれ、それじゃ余計に無責任だぜ。
中村氏いわく「人間が造ったものは……現在の知識の範囲で耐久性が説明できても、将来予期しない現象が起きないと断言することはできない」。それは正しい。しかし、だからといって「子孫も人工構造物も信頼に足るものでなければ、地球創生以来続いた自然に頼るしかない」というのは、こじつけもいいところ。自然だって、いや自然だからこそ、大量の人工放射能を押しつけられておとなしく抱いていてはくれまい。
管理も処分もできないものは、生み出すべきではない。だが、中村氏らは、すでに廃棄物は貯まっているのだ、と開き直って言う。ちょっと待ってよ。現にあることで、それを何倍にも増やすことを正当化できないでしょ。
いかに困難でも、生み出されてしまった分は管理をしていくしかない。その困難を思えば、放射能のゴミを増やすのは故意の犯罪以外の何ものでもないだろう。(西尾)
「風車」-第一四九号(一九九〇年八月)
前号で総合エネルギー調査会の長期エネルギー需給見通しを取り上げた際、紙面の都合で「新エネ」には触れられなかった。
見通しでは二〇一〇年度で新エネの供給量をかなり増やしているが、その評価はどうなのか―、読者から手紙がきた。エネルギー業界側の考えははっきりしていて、原子力と同様、実現の可能性を抜きに数字の辻つま合わせをしたまでだ。
どうせうまく行かないから、そのときは石油・石炭をふやすとの考えである。原子力があるから、新エネがあるから、むりな省エネはしなくてよいと誘導するためのものと言ってよい。しかし、原子力の場合とまったく違うのは、新エネの導入促進は、その気になりさえすれば、多くの人の合意を得て実行できるということだ。
槌田敦さんは「新エネでは原発の代替は不可能」と一刀両断にされた(本紙前号)が、原子力がエネルギー源の電力一元化を促すのに対し、新エネはむしろ脱電力を促しうるのではないか。「多くの人」の新エネへの期待に危なっかしい面があるとはいえ、新エネの活用はもっと真剣に考えられてよいと思う。
そのためには、新エネを活かしづらいようにできている現行の法制度や送配電システムを改める必要がある。電力会社にとても私たちにとっても好ましいあり方を本気で考えたい。(西尾)
「風車」-第一四八号(一九九〇年七月)
六月六日、ソ連西部のコラ半島で、長さ二百キロ、幅二十キロにも及ぶ巨大なきのこ状の雲が観測され、「第二のチェルノブイリ?」と周辺の国々をあわてあせた。
結局は自然現象によるごくふつうの大きな雲だったとわかりホッとしたが、このニュースが伝わった七日朝から、わが事務所の電話は鳴りっぱなし。六、七十件はあった問い合わせへの対応に大わらわの一日であった。そして私たちは、いつ核事故が起きても不思議でない世界に生きているのだということを改めて実感した。
もうチェルノブイリは風化しつつあるかのような報道ぶりも一部には見られるが、事故から四年経過したいま、事故の影響の深刻さ、規模の大きさがよりはっきりと視えてきた。四月の集会にはソ連から人民代議員のA・アダモーヴィッチさんやキエフの医師A・ヤコブレフさんが来日し、現地の様子、とりわけ子どもたちが苦しんでいる状況、人びとが政府をあてにはせず、自力でこの問題に取り組みはじめたことなどが話され、日本からの救援を訴えた。
これらの訴えを受け、市民レベルでの援助や交流の動きが各地で生まれ始めている。四十基近い原発が稼働する日本に生きる私たちが、チェルノブイリの被害者たちとどうつながれるかが問われている。(渡辺)
「風車」-第一四七号(一九九〇年六月)
五月二十日、青森放送で「核燃」をめぐるテレビ討論に参加した。東京からは他に原燃サービスの住谷寛常務と東京理科大の久保寺昭子教授。盛岡発の特急「はつかり」で三人が呉越同車両となった。
久保寺教授と私が一緒になったのは、たぶん、禁煙車だから。住谷常務のほうは、その車両の一部が仕切られてグリーン席となっているかららしい。この車両は駅の出口から遠いので青森に着く前に車両を移動していたら、原燃サービスの社員たちに出会った。お供は普通車だ。
社員たちにしてみれば、そのほうが気楽だったのかもしれない(生放送の間も、局のロビーでのんびり"観戦"していたようだ)。それはともかく、そんなふうだから常務さんは放射性廃棄物なんてものは目にしないですんできたのだろう、「放射能のゴミというが、汚いものでも危ないものでもない」と、討論のなかで大見得を切ってしまった。
再処理や高レベル廃棄物の貯蔵を事業とする会社の常務が、である。私もすっかりアガって、言うべきことを言わずに言わでものことを言ったりした。つい口がすべったというのはよくわかるが、それにしてもひどすぎる。
こんな人が責任者とあっては放射能のこわさも一入。何よりこわいのは、その人が私的にはけっこう好人物だったりすることかな。(西尾)
「風車」-第一四六号(一九九〇年五月)
四月二十九日、「原発とめよう! 東京行動'90」は日比谷野外音楽堂で《ノー・ニュークス・ワン・アース・フェスティバル》を開いた。ここに登場したのが人力発電機、略してジンパツだ。
なんのことはない、二台の自転車に発電機と蓄電池をつないだものである。それでも、ギター一本の小室等さんの歌、さらには『超ウルトラ原発子ども』という本で電気なしでもロックができると書いていたフミカちゃんのバンド"造反有理"の「花」は、十分な音量で客席に響いた。景山民夫さんのお話のときには、木クズによる木質ガス発電が威力を発揮した。
とはいえ、もちろんゲンパツをの代わりにジンパツを―とはならない。むしろ、改めて原発の力の大きさを再認識させられたくらいだ。問題はしかし、そこにあるのではないだろうか。
何の苦労も感じずに大量の電気が使えることが、浪費を促した。人力発電機は、あえて電気をつくる苦労を体現して見せて、電気の使い方を考えさせる(子どものオモチャにもなっていたけれどね)。
電気をどうつくるか、どう使うかが切り離されている現状をそのままに原発の代替をさがし求めるところに、脱原発の道はない。自然エネルギーは、安易に原発の代替になんかならない点をこそ強みとしてよいと思うのだが……。(西尾)
「風車」-第一四五号(一九九〇年四月)
全国津々浦々から届く、各地の運動状況を詳細に、また思いのたけをイキイキと伝えてくれるミニコミを手にするのは実に楽しい。限られたスペースで、全国、世界の動きをカバーしなければならない反原発新聞ではとてもかなわない面白さだ。
金沢や能登の原発とめたい仲間たちが発行している「いのちの未来に原発はいらない通信」、略して「いのみら」もそのひとつ。いのちの側に立った情報をていねいに伝えようという心意気、仲間たちの息遣いまで紙面から感じられる。
その書きまとめ役の水野スウさんが『まわれ、かざぐるま』(若草書房刊)を出版した。娘の万依ちゃんの誕生をきっかけに、これまで外に向けられていた目が内に─娘、相棒、自分自身に─向きはじめた。その内に向いた目で発見したことをきちんと手渡そうと万依ちゃんへの七歳のお祝いとなった。
はじめの部分はまさに育児日誌、一人ぽっちで子育てしたくないという思いで始めたオープンハウス「紅茶の時間」、その仲間たちと取り組んできた活動はにぎやかで楽しくて生活感にあふれている。
「いのみら」を書き続けてゆくことで志賀や珠洲と自分の距離がどんどん近づくのを感じるという。一人ひとりの熱い思いを縫い込んだキルトの写真がカバーとなっている。ぜひ一読を。(渡辺)
「風車」-第一四四号(一九九〇年三月)
北海道電力が泊原発のそばに、三十億円をかけてPR館を建てるという。原子力についての知識や情報を模型などを通じて提供するほか、地元との交流の場として室内温水プールまで設置するそうだ。
昨年十二月に来日したソ連共産党機関紙『プラウダ』のグーバレフ科学部長が、被爆国日本で原発が推進されているのは、すばらしいPR館があって住民に対する広報が行きとどいているからだ―と一月八日付の同紙に書いていたのを思い出して苦笑いをしてしまった。
とはいえ、その記事には、日本の私たちには苦笑すら許されないような記述もあった。グーバレフ氏いわく「ここで、一つの特色について述べておきたい。それは日本の原発が大都市の近くで運転されており、保養地に配置されていることである。しかも、地震危険地帯にである!」。
本紙第141号の4面でも特集したように、ソ連ではいま、都市近接あるいは保養地にある原発、そして地震地帯の原発が、次々と建設・計画の中止に追いこまれている。それを「無知」のせいであるとする証拠に、被爆国日本における原発の建設状況がつかわれているのだ。
とびきり危険な状況で日本の原発が建設されていることが、当の地元のみならず、はるか遠くの人びとにまで累を及ぼす。私たちの責は重い。(西尾)
「風車」-第一四三号(一九九〇年二月)
お気づきいただけたかどうか、前号から本紙は再生紙を使っている。
再生といっても何パーセントがそうなのかわからないし、再生紙をつくるのにだって、有害廃棄物も出る。エネルギーも使う。再生紙を使うことによって改めて、本紙が紙のムダづかいにならず、少しでも地球環境を望ましい状態に近づけることに貢献できる紙面でなければ―との思いを強くした。
資源浪費の大部分は産業活動によるものなのだから、身近なところでだけ節約なりエネルギー利用の効率化なりリサイクルなりをしてもしかたがない、という考え方もありうるだろう。しかしいま、大企業がまるで競うようにして省エネルギーやら資源リサイクルやらをうたいはじめているのは、やはり私たちの運動があってのことだと思う、そこが、石油ショックの後の一時的な類似現象との大きな違いではないだろうか。
望ましいエネルギー利用のあり方を考えるにあたって大切なことのひとつは、すさまじいエネルギー浪費の現実と望ましい未来のあいだの気の遠くなるような距離にため息をつくことではない。4面の「反原発講座」で田中直さんが言うように、百年後に向けた準備をいまからしていこうではないか。
ひとつひとつはちいさなことでも、百年後に意味をもつと信じたい。(西尾)
「風車」-第一四二号(一九九〇年一月)
一九九〇年代の幕が開いた。日本の原子力産業にとっても、いよいよ先がなくなった。
そのことは、日本原子力産業会議がまとめた一九八八年度の原子力産業実態調査報告に、はっきりと示されている。たとえば、電気事業の原子力関係支出高の項を見てみよう。同年度の建設費支出高は六千五百六十一億円。五年前には八千三百九十五億円の支出高で、その時には五年後の見込みとして一兆五百六十一億円という数字を挙げていた。達成率は、やっと六割である。
一方、運転維持費の支出高は、五年前の三千四百五十六億円の倍の七千二百六億円。見込み額の五千百六十五億円の四割増しだ。これを原子力産業の側から見ると、原子炉機器の売上高との関係について、そっくり同じ傾向が窮える。
この趨勢は、今後いっそう強まるはずで、現実に、新規の原発の発注予定は、まったくない。そこで原子力産業がどう対応しているかは、従業員数の調査報告を見ればよいだろう。原子炉機器製造部門の縮小とサービス部門の拡大。しかし、それによって活力を維持していけるわけもなく、すでに原子力産業は「安楽死」への態勢に入ったと言えそうだ。
そんな九〇年代の初めの年に、脱原発法の制定を求める署名が、いよいよ国会に提出される。(西尾)