「風車」-第二一二号(一九九五年一一月)
鈴木篤之東大教授の本欄へのご登場は、これで何回目になるだろうか。もうウンザリとの感がなくもないが、毎度おなじみ鈴木教授のお噂におつきあいを願います。
九月にフランスで開かれた「グローバル95」とやらいう国際会議で、鈴木教授は、こんな考えを披露した。いわく「ロシアの核兵器の解体から年間五トンのプルトニウムが出てくるが、そのうち二トンを日本が買って燃やせる。日本の世論は、核兵器の廃絶につながるこの費用を喜んで支払うだろう」。
「政府と企業にとって核燃料バックエンド問題についての重要なアドバイザーである」鈴木教授の発言とあって、アメリカで発行されている原子力専門紙が飛びついて報道、それをまた日本のマスコミが記事にした。でも、専門紙の報道が目につかなかったら日本で記事にはならず、世論は、そんな考えがあること自体を知るべくもなかっただろう。鈴木教授はなぜ、まず国内で提案をしなかったのか。
本来なら、福井県敦賀市こそ発表の場にふさわしい。「日本の世論は原子力の軍事利用と商業利用とを厳密に区別したがるので」商業用の原発では燃やせないが、「ふげん」と「もんじゅ」なら商業路でなく、区別にこだわらずに利用できる、と鈴木教授は言うのだから。
ユニークなご高説を、ぜひゆっくり敦賀市民の前でお聞きしたいものである。(西尾)
「風車」-第二一〇号(一九九五年九月)
反核パシフィックセンター東京が発行する『パシフィカ』五、六月合併号が、前号に続いてフランスの核実験やめろ!の特集を組んでいる。
潜水夫として核実験場で働いたノエル・バリアーさんの証言と写真が、とても生々しい。加えて、本紙前号の「反原発講座」に登場してくれた鈴木真奈美さんが、「フランス核産業に貢献する日本」を説き、前々号「講座」の筆者の渕脇耕一さんは、衆参両院による反核実験決議を批判している。
「いちばん気になる部分は、フランスの核実験再開の決定について、『いかなる理由に基づこうとも、いかなる条件が付されていようとも……人類の生存を脅かす行為である。』と述べているくだりだ」と、渕脇さん。「どういう理由で核実験を再開しようとしているのか、またどういう条件のもとで行なおうとしているのか納得行くまで説明してほしいと食い下がるのが、言論の府、国会の務めではないか」。
なるほど、と感じ入った。国会決議に限らず、私たちがよく集会アピールに用いる決まり文句についても、俎上に載せざるをえない。
その上で国会決議について、「すべての国の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用にも反対」とあるのは刮目に値しよう。議員たちが承知の上で賛成したかは知らず、アメリカの「核の傘」をも否定した決議は、時代の変化を示すものと言えないか。(西尾)
「風車」-第二〇九号(一九九五年八月)
昨年六月に原子力委員会が決定した新原子力開発利用長期計画に、早くも破綻が生じた。大間ATR計画がおじゃんになったことだ。
新長期計画は、高速増殖炉の開発のしくじりから、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を軽水炉およびATRで利用することに力点を移し、余剰プルトニウムは出さないと強調した。そのATRが、たちまち転けたのである。
軽水炉でもMOX燃料の利用も、喜んで受け入れようとする地元自治体はどこにもなく、電力会社自身がなお及び腰。燃料製造の見込みすら立っていない。MOX燃料装荷の時期も基数も、すでに長期計画からの後退は確実となった。
利用が遅れれば、プルトニウムからのアメリシウムの再分離といったことまで必要になり、ただでさえ高いMOX燃料の製造コストをますます引き上げる。電力会社はいよいよ浮き足立つ。プルトニウムの余剰はふくらむなかりだ。
大間ATR計画の後釜にはABWRを建てる、ふつうの軽水炉ではMOX燃料の装荷は三分の一が限度だがABWRなら全炉心への装荷が可能で、ATRよりももっとプルトニウムを減らせる―と電事連は説明しているが、単なる辻つま合わせであって、本音でないのは誰の目にも瞭然だろう。
再処理をやめずに余剰プルトニウムを減らす手品のタネはない。(西尾)
「風車」-第二〇七号(一九九五年六月)
カナダのトロント大学が、原子力に関係する講座を今期限りで廃止すると聞いた。修士・博士課程だけは残すというが、いずれ、それもなくなりそうだ。
学生の原子力離れは、アメリカでは原子力学科をもつ大学の数、原子力学科に入る学生の数が激減していることが、九〇年に既に報告されていた。日本の状況について、本紙でも九二年七月号で、現役の学生にインタビューをしている。
東大の原子力工学科は、九三年四月からシステム量子工学科に改名した。しかし、嫌われるものの原子力の文字をなくした成果で学生が増えたとの話は、聞こえてこない。
同学科の鈴木篤之教授が『エネルギーいんふぉめいしょん』四月号で語っているところでは、原子力への夢は捨てきれないご様子。半導体だの超電導だの量子レベルでも技術がいろいろな分野で使われているのだから、「エネルギーの分野においてもこういう量子時代の技術がいずれは主流を占めるのではないか」と期待し、「量子の時代の一番上り詰めたところに原子核のエネルギーがある」のだと力説する。これでは「原子」じゃなくて「量子」だと言われてもねというのが、学生の側の正直な受け止め方だろう。
「太陽エネルギーも核融合ですから、実は量子時代のエネルギー」と言ってみたところで、システム量子工学科も先は見えている。(西尾)
「風車」-第二〇五号(一九九五年四月)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への軽水炉供与の窓口となるKEDO=朝鮮半島エネルギー開発機構が三月九日、正式に発足した。米韓日の三ヵ国だけでの見切り発車である。
その設立協定に、供与する軽水炉は「韓国型」であることが明記され、強く反発した北朝鮮側は、実験炉の凍結解除をちらつかせて変更を迫っている。輸出実績どころか国内での実績もこれからの「韓国型」に三ヵ国側がこだわる理由は、韓国の原発輸出への執心のほかには見出せない。小村浩夫さんが『週刊金曜日』一月十三日号で説くように、原子力産業の「金儲けのための軽水炉支援」は明らかだ。
一方、北朝鮮側の姿勢からは、原子力開発への固執がエネルギー供給を主目的とするものではないことが、如実にうかがえる。核武装の意図はともかく、まるで核を外交の切り札とするための開発の様相である。
軽水炉なら核開発ができなくなるものでないのは、説明するまでもないだろう。現にアメリカは、ロシアや中国がイランに軽水炉を建設しようとしているのは「核拡散につながる」として、契約破棄などを求めている。近く始まる核不拡散条約の延長検討会議で、同条約に違反する要求だとアメリカが非難されるのは必至だが、軽水炉も核開発につながるというのは、実にその通りだ。
KEDO設立で問題は終わらない。(西尾)
「風車」-第二〇四号(一九九五年三月)
役員が会社に与えた損害を賠償させるため、会社に代わって株主が裁判所に訴える「株主代表訴訟」は、九三年の商法改正で、八千二百円の提訴費用で訴えが起こせるようになった。株主の権利を強化し、役員による会社の私物化を防ぐのが、その趣旨である。
ところが二月二十八日、名古屋地裁は、反原発の株主が電力会社の役員を訴えるのなら一億四千八百万円の担保を差し出せという、とんでもない決定を下した。「悪意ニ出デタ」訴えだから、被告=役員側が逆に不当訴訟の損害賠償を求めたときの支払い確保の必要がある、というのだ。これは、事実上、裁判を起こす権利の否定に等しい。
「芦浜原発計画株主代表訴訟」と呼ばれるこの裁判の経過については、本紙九四年五月号、七月号などを参照されたいが、名古屋地裁の決定を読むと、もってまわった言いわけと、おそろしく乱暴なこじつけに目を疑い、次いで怒りがこみ上げてくる。古和浦漁協への二億円の「預託金」支出が違法だとする訴えの正当性は、認めざるをえない。しかし、原告が求めている六十二億円の損害賠償のうち、二億円にすぎない! しょせんは反原発の企図からの訴えだから、全体として不当──と言うのだから、凄まじい。
原告団・弁護団は、「最低最悪の決定」だとして、名古屋高裁に即時抗告を行なった。(西尾)
「風車」-第二〇三号(一九九五年二月)
阪神・淡路大震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。現在のご事情もわからないまま、従来通りに発送致します。全国の仲間たちの励ましを、間接的ながらお届けできれば幸いです。
大地震を受けて一月十九日、原子力安全委員会は耐震安全検討会を設置しました。ところが、同委事務局の科学技術庁の説明では、これは「現在の指針の妥当性を確認するもの」なのだとか。何のための安全委員なのでしょうか。
全国原子力発電所所在市町村討議会が一月二十三日、この検討会の設置に対して要請書を出したと聞いて、原発を抱える市町村としては、耐震設計審査指針のきちんとした見直しを求めるのは当然のこと、と思いました。まさか、社会を不安がらせないでほしいという要請とは思ってもみなかったのです。
原発の寿命はせいぜい数十年。その間に大地震にぶつかる確率はきわめて低い。それなら、ヘタに騒いでくれるなということなのでしょう。もし大地震が現実に襲えば、地震対策の不備と原発事故対策の不備が重なるのですから、そんなことは考えたくもないのでしょうね。
首長たちは、現に原発を抱えることの重さにすくんでしまうのかもしれません。しかし、生命は勝たねばならない(森瀧市郎)のです。希望をもって生きる道を切り開いていきたいと思います。(西尾)