2004年01月22日

「風車」-第二六一号(一九九九年一二月)

「風車」-第二六一号(一九九九年一二月)

日本原子力産業会議が、九八年度の原子力産業実態調査の結果を発表した。今回の調査では初めて、二〇一〇年までに二十基と計画されている原発の増設についてアンケート調査の項目に加えている。

その結果、「予定通り可能」と答えた会社は、回答を寄せた原子力関連産業二百四十七社の中で、わずか八・五%にとどまった。十六~十九基とする会社を加えてもやっと八・九%である。六~十基と答えた会社が五七・一%、一~五基が二二・三%だから、八割近くが十基以下と見ていることになる。

では、何年までなら二十基増設が可能か。この問に答えたのは二百十九社で、九割の会社が二〇一六年以降としている。二〇一六~二〇年が三二・〇%、二〇二一年以降が一三・七%、二十基増設はそもそも不可能と答えた会社が四四・三%だ。

さらに興味深い調査は、仮に計画通り二〇一〇年までに二十基の増設ができたとして、その場合の各社の売上げ増を尋ねたものである。回答は二百二十八社で、何と三八・六%が売上げ増はまったく見込めないと答えている。五億円未満が三一・一%で、両者を合わせると七割弱に達する。どうやら原子力産業としても、原発増設への期待度は低いらしい。

残念ながら、この増設問題の調査には電力会社の回答がない。増設で大赤字という欄がなかったせいだろうか。(N)

Posted by 編集部 at 17:37

「風車」-第二六〇号(一九九九年一一月)

「風車」-第二六〇号(一九九九年一一月)

JCOの臨界事故では、多くの人が被曝をした。にもかかわらず科学技術庁では、「被曝者は六十九人」としている。

事故によって計画外の被曝をした人(正確には、被曝が確認された人)のみを、同庁では「被曝者」と呼んでいるのだ。臨界を止めるために水抜きの作業などを行なった労働者は、右に言う「被曝者」の大多数より大きな被曝をしていても、法令に定められた緊急時被曝の限度を超える被曝をした人さえ、被曝を前提として作業をしたのだから「被曝者ではない」ということになる。

その人たちの被曝は、「計画被曝」と名づけられている。しかし、計画的に被曝をしたのだから被曝者でないという理屈は、庶民感情からすると大いにいかがわしい。否、問題は単に語感だけではないのだ。

科技庁用語の「被曝者」には、原子力損害賠償法が適用されるが、計画被曝者には適用されない。労働災害の認定も、JCOの三人の重症者には、申請から一週間も経たずに行なわれた。だが、計画被曝者の場合は、定期検査などでの「計画被曝」の労災認定の現実を見るなら、今後何らかの病気にかかったときに必ず労災と認定されるという保証は、まったくない。

計画的--と言いながら、その実、被曝量の予測は十分に行なわれず、従って被曝低減の対策もないままに作業を強いられたことがわかっている。(N)

Posted by 編集部 at 17:37

「風車」-第二五八号(一九九九年九月)

「風車」-第二五八号(一九九九年九月)

原発などへの工作員侵入を具体的に想定した本格的な対ゲリラ実戦訓練を、自衛隊が来年度に初実施--八月十八日、ロシアを訪問中の野呂田防衛庁長官が、同行記者団を相手にぶちあげた。

原発テロについては二、三年前から当時の橋本首相のお声掛かりでひんぱんに対策の必要性、自衛隊の活用論が説かれてきた。国会でも、各委員会でしばしば取りあげられている。もっとも、与謝野通産相や有馬科技庁長官の答弁は「工作員の侵入は難しく、万一破壊工作が行なわれても原発は安全」と、にべもない。ならば両大臣は、自衛隊がしゃしゃり出てくる口実に原発がつかわれることに厳重に抗議をするべきだろう。

侵入はともかく、ミサイル攻撃はどうか。通産相によれば「他国からのミサイル攻撃というのは戦争で、原発自体の安全性とは別の議論」だという。戦争で原発が標的になり、放射能災害を起こしても、原発には責任がないということらしい。

それは、戦争に限らない。内田秀雄元原子力安全委員長は、「想定事故を上回る事故が仮に起これば、それはいわば天災の類であって、免責とされる」と述べていた。この人たちの頭の中には、責任を逃れることばかりがあって、被害を受ける人はまったく見えないのである。

破壊や攻撃の対象となるのは、むろん、原発が放射能を抱いているからだ。(N)

Posted by 編集部 at 17:37

「風車」-第二五六号(一九九九年七月)

「風車」-第二五六号(一九九九年七月)

原子力基本法で原子力利用の推進をうたっている箇所は、削除される必要がある。六月二十四日、総合エネルギー調査会原子力部会の「原子力政策について御意見を聴く会」に出席して、そう主張した。

賛否がはっきりあるのに、法で推進をするのは、おかしい。規制緩和の流れに逆行する。原子力安全委員会の設置も、情報公開も、「推進のため」と趣旨を歪められてしまう。

そして何より電気事業者の無責任さを助長している。「国のエネルギー政策で原子力をやっているのだから、廃棄物も国が全責任をもってほしい」。荒木浩電気事業連合会会長(発言当時)の言葉である。

それでも原発さえつくってくれればよいと、科学ジャーナリストの中村政雄さんから反論があった。「電力会社がやりたくなきゃやらないというふうにして、全然やらなかったら、日本のエネルギーの自給率というのは乏しいままです。仮に電力会社が嫌がってもやらせるためには、やっぱり国家権力が必要でしょう」という。

原発推進の舞台裏を見せて、かえって当方の発言の補強をしてくれたようなものと思い、あえて論駁しなかった。残念だったのは、この日、株主総会の直前とあって、電力会社の代表者である部会委員たちが、全員揃って欠席だったこと。

嫌でも原発をつくらされる側の感想は聞けなかった。(N)

Posted by 編集部 at 17:35

「風車」-第二五五号(一九九九年六月)

「風車」-第二五五号(一九九九年六月)

「実は地方電力は悩んでいるところであります」。昨年十一月十三日に開かれた電気事業審議会の基本政策部会専門委員会で、中国電力の古川隆副社長は、電気事業の部分自由化に対し、こう述べた。

同副社長は、まず「専門委員会の委員一九人のうち、東京、大阪、名古屋の方が一八人で、他の地域からは私だけ」と、発言を切り出している。そして冒頭の話となる。氏のいう「地方電力」が建設を計画中の原発は「一三五万kW級になっております。これら地方電力は、部分自由化がない場合においても、年間一〇万kWか二〇万kWしか需要増加を見込んでいません。そういう状況の中で原子力を推進していかなければならない」。

にもかかわらず、自由化の影響を最も受ける「地方電力」には、意見を言う機会すらほとんど与えられていない、というのである。原子力長期計画の策定メンバーにも、「地方電力」の代表者は、これまで一人も選ばれた例がない。預り知らないところで原発推進の目標を設定され、需要低迷、自由化で、大型原発がお荷物となる可能性は、きわめて高い……。

と悩みながら、島根3号の増設、上関1、2号の新設に向けて次々と電源開発調整審議会への上程を準備しているのだから、何をか言わんやだ。そのツケは、電力会社にだけでなく、住民にこそ大きくまわされるのである。(N)

Posted by 編集部 at 17:35

「風車」-第二五四号(一九九九年五月)

「風車」-第二五四号(一九九九年五月)

一九九九年度の電力各社「供給計画」が出揃った。そこから原発の計画を抜き出して、4面に図示した。

計画通りに運転を開始すれば、二〇一〇年度末までに二十基の増設となる。もちろん、そんなことになろうはずはない。二十基増設の掛け声に辻つまを合わせただけの、画に描いた餅であることは、火を見るより明らかだ。

今年度中に電調審(電源開発調整審議会)に上程される計画の七基のうち、六基までが、昨年度中の上程計画を一年遅らせたものである。うち五基は、その前年度の計画から延期されたものであり……と、遡っていけば切りがない。運転開始の計画も、毎年のように延期が繰り返されている。来年度には、辻つま合わせも限界を迎えよう。

それにしても、延期をする一方で、環境影響調査書の提出を急ぎ、公開ヒアリングを急ぐのは、どうしたわけか。六月十二日の環境アセスメント法施行を前に滑り込みを狙っているのは確かだが、上関原発計画に顕著なごとく、むしろ早く動かすことにはしたくない電力会社の事情もうかがえる。

電調審だけでも通しておけ、と国はけしかけるが、土地が確保できなければ巻原発計画の頓挫の二の舞い。漁業権の放棄が望めなくては、電調審から着工まで九年半を要した女川原発1号の失敗の再現となろう。困るのは国、ではないのだろうか。(N)

Posted by 編集部 at 17:34