「風車」-第二七一号(二〇〇〇年一〇月)
九州電力は、川内原発の増設に向けた環境調査を地元に申し入れました。敦賀3、4号で計画されているのと同じ、経済性「改良型」の加圧水型炉(APWR)です。
APWRの炉心は大容量化で燃料経済性を向上させるほか、「MOX炉心や高燃焼度炉心のような運転多様化ニーズに対し、フレキシビリティの高い設計」「全炉心MOX装荷運用にも対応可」などと、三菱重工では説明しています(『三菱重工技報』35巻4号)。原発の大きな弱点である小回りのきかなさを犠牲にしてまで大出力化して経済性向上を図る事情については、前号の本欄でも触れました。
それでもやはり九電にとって、増設は重荷以外の何ものでもないでしょう。投資額を回収できる見込みは、怪しいものとならざるをえません。島根3号の増設着手について八月二十八日付電気新聞のコラムは、「もろ手をあげて喜ぶわけにはいかないというのが関係者の一致した見方ではないか」とし、増設より「既設のプラントにまつわる問題のほうが山積している」と述べていました。川内原発の増設また然りです。
九電の電力需要の実績を見ると、原発の導入に合わせて料金を下げ、必死に需要開拓をしてきたことが一目でわかります。他ならぬ九電にとって増設が必要と明言できない経営者の姿に「国策追随」の無責任さが見えます。(N)
「風車」-第二七〇号(二〇〇〇年九月)
沸騰水型、加圧水型という両軽水炉の次世代炉の開発が、そろって始まった。沸騰水型が百七十万kW級と言えば、対する加圧水型はそれを上回る百七十五万kWと、しっかり張り合っている。
一方、策定中の原子力研究開発利用長期計画の案には、「革新的原子炉」への期待が表明されていた。審議の中では、委員の間から盛んに「小型炉」と明記するよう求める声があがったが、原案作成者たちはあくまで「炉の規模や方式にとらわれず」とする記述を譲らなかった。
原子力業界誌紙などでは、小型炉論議が賑やかである。しかし実際に商業炉をつくるとなれば、より大型化を目指す以外に発電コストを下げる道はない。「原発を存続させるには火力や水力などの発電方式に勝る経済性が必要」(東京電力)、「ほかの発電方式より優位に立つ経済性を持つ原子力発電を実現させる」(三菱重工)と、開発着手の説明も似通っている。
資源エネルギー庁の試算では、今でも原発がいちばん安いはず--なんて誰も信じてはいないようだ。それはともかく、小型炉論議が非現実的であることだけは確かだろう。だが、それなら大型炉は現実的か。
「電力自由化」で最も問題となるのは、原発の不経済性より、硬直性である(本紙6月号4面参照)。大型化は自殺行為に等しい。しょせん原発に明日などないのだ。(N)
「風車」-第二六九号(二〇〇〇年八月)
七月一日付の南海日日新聞(愛媛県八幡浜市)に「原発の町、伊方町にはなぜ町職員応募少ないの」と見出しのついた記事が載りました。
就職難の中、ふつうなら人気の高い町職員の応募者が、伊方原発の地元の愛媛県伊方町では、採用定員二人に対して三人のみだったというのです。隣りの保内町では三人に対して二十五人、八幡浜市では七人に対して三十六人と、「隣接の市町での高い人気と高倍率の応募に対して、原発の町として財政力が高い事を誇っているはずの同町の職員募集に、わずか一人オーバーという不人気ぶり」とか。なるほど「不思議な事」(中元清吉伊方町長)です。
大学から原子力と名前のつく学部・学科がなくなりつつあることは、よく知られていました。原子力の名を隠しても学生は集まらず、また、卒業後も原子力産業に就職する学生は少ないといいます。六月二十三日付の朝日新聞にも、「ほぼ全員が商社や情報関連産業などに就職するか、大学院に進学した」と、東京大学原子力工学科改めシステム量子工学科の卒業生への取材記事がありました。
「あえて沈む船に乗ろうとは思わなかった」という卒業生の言葉からすれば、「原発の町」も同じに見えるのかもしれません。増設の見返りにつぎこまれる“地域振興費”も、しょせん一過性と、誰の目にも自明なはずなのです……(N)
「風車」-第二六五号(二〇〇〇年四月)
前々号のDATABOXに載せた労働者被曝のグラフで、九三年度と九七年度が高くなっているのは、特別なわけがあるのだろうか、との質問を読者から受けた。
九八年度が下がっているのではなく、九七年度が高い--と、グラフを読んだことになる。労働者被曝は、八〇年代以降、減少を続けてきた。それが、九一年度を底に再び増える傾向を示している。そう見れば、指摘の通り、増加傾向を超えて、九三年度と九七年度が高い。
九三年度では浜岡1号の再循環系配管の交換工事、九七年度では福島第一3号のシュラウド交換工事による被曝が響いたのではないか。右の工事を含む浜岡1号の定期検査中の総被曝線量は十四人シーベルト、最大線量は二十四・九ミリシーベルト。同じく福島第一3号の総被曝線量は十六・九人シーベルト、最大線量は二十六・七ミリシーベルトとされている。どちらも翌年度にまたがってのものだが、通常の定期検査での被曝をはるかに上回っている。九三年度には、浜岡1号の他にもかなり高いものがあった。
今後、老朽化が進み、大型機器の交換が続くであろうことを考えると、労働者被曝の動向は予断を許さない。設備利用率を高めるための定期検査の短縮は被曝を減らしている原因の一つだが、それがかえって大きなツケをまわしてくるのでなければよいのだが。(N)
「風車」-第二六四号(二〇〇〇年三月)
核燃料サイクル開発機構の人形峠環境整備センターが二月十日、環境管理の国際規格であるISO14001を取得した。目を疑っておかしくないニュースである。
ごていねいなことに認定範囲は「問題化している敷地外の捨石堆積場を含む採鉱関連施設の維持など」と、二月十五日付の電気新聞は報じている。何をか言わんやだ。とはいえ、それほど驚くにはあたらないのかもしれない。ISO14001なるもの、すでにこれまで、原発にも石炭火力にも見境なきが如くに与えられているのだ。
ISO14001が経済活動のグリーン化をもたらすことを否定するつもりはない(嘉田由紀子・槌田劭・山田國廣編著『共感する環境学』ミネルヴァ書房所収の黒沢正一論文など参照)。さはさりながら、原発の放射性廃棄物の発生量削減が認定理由とされていたりするのを見ると、どこまで中身をわかってのことか、認証に疑問が残る。問題を多く抱えているほうが取得や更新をしやすいのでは、と邪推すらしてしまう。
人形峠環境整備センターの「環境」とは、原子力業界では「放射性廃棄物」の意だが、それも承知の上かどうか。ウラン濃縮施設の解体で出る放射性廃棄物をスソ切りして「リサイクルを可能にする効果的な除染」を行なうことが環境保全だなんて、やはり認めるわけにはいかない。(N)
「風車」-第二六二号(二〇〇〇年一月)
二〇〇〇年代劈頭の「風車」とあって、少しは格調高くと考えてはみたものの、柄にないことはせぬがよい。常の通りでお許しを願おう。
さて、十二月九日の参院で九九年度の第二次補正予算案が可決成立した。その中に、JCO臨界事故を踏まえたという原子力災害対策費千二百六十七億六千万円が盛り込まれている。科技庁、通産省はもとより、防衛庁、厚生省、建設省、文部省、警察庁……と、各省庁が競って予算を要求したものだ。
事故の責任を負う科技庁が、火事場泥棒よろしく多額の予算を要求するとは何ごとか--との批判がある。予算項目を見ても、建設省の「避難、迂回、緊急輸送道路の整備」だの、内閣安全保障・危機管理室の「原子力災害危機管理体制に関する調査」だのと、いかにも火事泥を絵に描いたようではある。
しかし、もっと根本的な問題は、そもそも国や自治体が原子力災害対策費を負担すべきなのかということだろう。それは、ほんらい原子力事業者が負担する費用ではないのか。
事故があって慌てて対策が立てられるなんてとも思うが、必要な対策ならもともと事業者が整備してから事業を始めるべきだった。国が乗り出してくれなくては心許ない、事業者では責任がとれないという事業なら、始めてはいけなかった。
同じことが、高レベル廃棄物のあと始末などにも言える。(N)