「風車」-第八号(一九七八年一二月)
アメリカのユタ州のソールトレーク・シチーは、かつてウラン鉱の町として活況を呈した。いまや廃坑となったその地には、二百万トン近くの採鉱・精錬のかすが、五千アールの土地に放置されたままだ。
このかすには、ラジウムなど多くの放射性物質が含まれており、いまも放射能を放出し続けている。そのなかに、放射性気体ラドンが含まれている。空中に放出されるラドンは、住民の健康を脅やかすまでに、空中の放射能濃度を高めている。
事態を無視できなくなった州当局は、このかすを除去する方針だ。五千アールの土地を六十センチにわたって削りとり、鉄道で百五十キロ離れた砂漠に運ぶ。さらに、その上を七、八メートルの土か二メートルあまりのセメントで蔽うという。その経費は六十億円以上ともいわれる。
これは、これから世界の各地で起こることの一例にすぎない。岡山県の人形峠周辺も許容量すれすれに汚染されている。ウラン鉱の後始末の問題は、かつては無視され続けてきたが、いまや再処理残渣にも劣らない深刻な問題として認識され始めたのである。
アメリカではこれらの経費は、税金から出されるという。またまた、国民は高いツケを後から払わされることになるわけである。(高木)
「風車」-第七号(一九七八年一一月)
通産省は、電源開発社のカンドゥ炉導入を十月二十四日の総合エネルギー調査会原子力部会で正式決定するつもりでいたが、電気事業連合会などの強い反対で、見送りになってしまった。
カンドゥ炉は、カナダの開発した天然ウラン重水冷却型の原子炉だが、通産省の意図は、濃縮ウランを使わないカンドゥ炉の導入により、アメリカの核拡散防止政策をすりぬけ、さらに、国策会社電源開発を通じての国家主導型原子力推進をいっそう強めたいことがみえみえだ。
電事連は、安全性に問題があるなどと言っているが、いまさら安全性を心配するわけもなかろう。電力会社は、これまでしがみついてきた軽水炉から転向するわけにもいかず、電源開発の原発進出にも反発している。
この対立に、動燃事業団も一枚かんで、カンドゥ炉批判を始めた。同炉が、「次期原子炉」の座をめぐって、動燃の新型転換炉と競合するからだ。その新型転換炉には、ところが電事連も気乗りうす。ここに、さらに、新行政機構で開発計画の責任をもった科学技術庁が、独自の思惑で介入するという見方もある。
要するに、これは国民不在、無展望、無政策の原子力政策の典型だ。かんじんなのは、たまり続けるプルトニウムをどうするのか、ということだが、その策も立たないままに五者の思惑だけが入り乱れている。無策のツケは、国民にまわるのだからたまらない。せめて、もう一枚防衛庁がからむということにはならないでほしいのだが……。(高木)
「風車」-第五号(一九七八年九月)
電力業界の円高差益「還元」が本決まりになった。とはいえどうもすっきりしない。政党やマスコミは、我が党の試算、我が社の試算と、数字を競い合っているけれど、今年度分の差益額が今からはっきりわかるわけがない。むしろ問題なのは、そのはっきりしない今年度分の差益だけを返しますという政府・電力会社の姿勢そのものだろう。
差益の額だけが大事であるかのように数字を競い合うのは、問題のすりかえではないか。差益を「還元」する、値下げだなどと言うが、言いかえれば二年前の料金値上げこそが不当だったということなのだ。
その料金値上げに反対して不払い運動で対抗してきた諸グループは、さすがに正しく問題の本質をとらえているばかりでなく、創意に富んだ対応を提起している。
あるグループでは、「福田再選のためのお恵み値下げ反対」として、「還元」期間中の料金支払い保留を呼びかけた。また別のグループは、「差益ごまかしを許すな」と、差益分の自主値下げをすでに始めている。
「差益ごまかし」でごまかされた分は、原発を中心とした設備投資にまわってくる。すでに電力各社は「将来の設備投資にまわす」として昨年度までの差益を隠してしまった。通産省は八月二十二日、電力業界に対して「還元」を指導するのと並行し、差益の一部を「電源確保税」(仮称)として徴収、電源三法の補完にするとの方針を明らかにしている。「差益ごまかし」を許さない運動は、反原発運動の重要な課題の一つと言えるようだ。(西尾)
「風車」-第四号(一九七八年八月)
第二面の記事のように、通産省と科学技術庁は、美浜一号の燃料棒破損事故に関して、政治決着をはかってきた。
しかし、この決着のもとになった報告書は、ずさんきわまりないもので、かえって、「燃料棒の一部が溶融していたのではないか」という疑惑をつのらせる効果をもった、不思議なシロモノである。
この報告書は、事故の際に欠落し、原子炉内をまわっていたと想像される燃料やジルコニウム被覆管の回収状況と今後の運転への影響について述べたものであるが、その一部を紹介してみよう。
曰く「ジルコニウムについては折損量を上まわる量が回収確認されたことになるが、これは主に燃料棒の酸化ジルコニウム被膜のはく離によるものと思われる」
余分なジルコニウムが八キログラムも発見されたとなると、被覆管はいたるところで酸化し、ぼろぼろになっていたということらしい。
曰く「核燃体C―34内部のペレット片の存在の確認については、……その損傷状況からみて、なおその調査にも限界があり残余のペレット片が存在している可能性が残っている」
結局、燃料体の損傷状況も十分把握できていないのだ。それで、どうして「溶融はなかった」などと言えるのか?
そして結論に曰く「今後の運転において残留折損燃料棒片の存在が安全確保上支障となることはないと判断されるが、仮に固形物であると仮定して、折損燃料棒片が支持各子部にひっかかった場合の限界熱流束比……等を検討したところ安全確保上支障となるような結果は得られなかった」
根拠はなに一つ示されていないが、ともかく安全という結論になるのだそうな。(高木)
「風車」-第三号(一九七八年七月)
六月十二日の宮城沖地震は、一見頑強そうに見える現代技術とそれにがんじがらめにされた都会生活のもろさを、改めて教えてくれた。
それにつけても、日本でも有数の地震地帯である福島や茨城に原子力発電所が集中しているのも気になることだ。
震度五の地震で原発はどうなったかと気にかけていたら、奇妙な現象にぶつかった。この地震では、原研大洗の材料試験炉以外どこの原子炉もスクラム(緊急停止)しなかったという。一部の新聞では、福島や東海の原発が「ビクともしなかった」と、誇らしげに報道されている。
しかし、震度五の地震でスクラムしないことが、果して誇るべきことだろうか。安全性の考え方からすれば、むしろ止まるべきときにちゃんと止まってこそ、安全装置が健全に働いているというべきだ。
「震度五ぐらいの地震」では止まらないような運転をしているとしたら、その方が問題である。ましてや、福島原発では、昨年の事故以来、原子炉圧力容器の給水ノズルコーナー部を二十五ミリも削ったままで無理な運転をしている。
安全についての考え方を変えないと、とりかえしのつかない大事故を招くことになろう、と警告しておきたい。(高木)
「風車」-第二号(一九七八年六月)
五十二年度の原発稼働率は史上最低を記録したが、五月九日付の朝日新聞によれば、この低稼働率による計算上の損失は、電力業界自身の試算によっても、約千二百億円にも達するという。
電力会社ごとの損失額の試算を再録しておけば、東京電力の約五百四十億円を筆頭に、関西電力が約四百七十億円、中部電力が約九十億円、日本原子力発電が約六十億円、中国電力が約三十億円と続く。
もっともこの試算は、原発が動かなかった分の穴埋めとして使った石油代金と核燃料費の差額を計算しただけの単純なもの。一基あたり百億円ともいわれた昨年の修理費などを含めた実際の損失額は、はるかに大きなものとなる。
関電の小林社長は、「新技術をこなしていく過程で一々責任を取っていたら、原子力開発を進める人間がいなくなってしまう」と居直っている。
その無責任のツケが国民にまわってくるのではたまらない。「原発はひきあわない」という明白な事実を認めて電力会社が撤退するまでに、あとどれだけかかるのだろう。(高木)
「風車」-第一号(一九七八年五月)
めまぐるしい世の中の動きのなかで、すっかり忘れ去られたかたちになったが、カレン・シルクウッドの名は、一時新聞誌上をにぎわせた。
彼女はアメリカの核燃料会社カーマギー社の技術者で、労組の活動家だった。彼女が高速道路で"交通事故死"をとげたのは、四年前のことだった。彼女は、カーマギー社のずさんな放射線作業を告発する文書をもって新聞記者に会いに行く途中だった。"事故"の現場からは文書がなくなっており、他殺の疑いが濃厚となった。一時はFBIも調査を始めたが、いつの間にかうやむやになって現在にいたっている。
ところが最近のアメリカの科学誌によれば、当時カーマギー社がウエスチング・ハウス社に納めていた高速増殖炉用の燃料棒に欠陥品の疑いが出てきた。とすれば、彼女はずさんな品質管理や試験結果のねつ造の実情を知っていたために抹殺されたのかもしれないという。
彼女の死とそれにつきまとう底しれぬ無気味さは、決して過去のものではない。原子力社会は無数のカレンを生み出すのではないだろうか。第二、第三のカレンを日本で生み出してはならない。(高木)