「風車」-第四二号(一九八一年一〇月)
省エネルギーの時代は、すでに終わったのだろうか。
通産省は九月二十二日、企業の設備新増設に対して七四年から適用してきた電力料金の割増し制度を廃止する方針を明らかにした。第一次石油危機後の電力供給不安のなかで設けられた制度だが、いまや夏のピーク時ですら電力はあり余っている。今年八月の九電力平均の予備率は、実に二十五・五パーセントにまで達しているのだ。電力需要増にブレーキをかけるどころか、アクセルをいっぱいに踏みたいところ、という次第。
もっとも、これまでだって、実は誰も本気で省エネなんて考えちゃいなかった。東京電力発行の『地域開発ニュース』八月号で、深海博明慶大教授は言う。「自動車の耐用年数を伸ばすことは……省エネルギーにつながりますが、同時に反面、それは自動車の新規消費を減少させ、自動車産業を不況に陥れる危険性がある。……各産業内での省エネルギーの努力は重要ですが、マクロ的な大きな判断なり調整を考慮すべきでしょう」。
今また堂々と「消費は美徳」をうたい、大量生産大量消費(新規消費)をすすめようとする動きがはじまろうとしている。「エネルギー危機だから原発を」と言った舌の根も乾かない先に、今度は「不況克服のため、原発で電気を大量生産し、大量消費を」というわけだ。いやはやまったく――と呆れてばかりもいられない。(西尾)
「風車」-第四一号(一九八一年九月)
原発と原爆は実はひとつのもの、とこれは反対派の言い分にあらず。アメリカ政府が堂々と言い出した。
最近公表された議会の秘密聴聞会の記録によると、米政府は商業原発からのプルトニウムを核弾頭に組みこむことを計画中という。核兵器用プルトニウムはいくらあっても足りないらしく、現在増産体制に入っているものの、アメリカは八〇年代末には不足に直面するという。そこで保存中の原発の使用済み燃料に含まれる七十トンのプルトニウムに眼をつけた。
タカ派レーガンの本領発揮か、と考えるのは早トチリらしい。実はこの計画、フォード政権末期から進行していた。再処理ののち、レーザー濃縮して高純度にする。その研究は七五年から続けられているという。ようやく実施のメドのついたことで発表に踏切ったらしい。
レーガンらしいところは、計画を公けにチラつかせたことだ。もっともこの公表で一番困っているのは、親原子力派のレーガンに期待していた原子力産業界とか。それにしても、核防条約は非核保有国の軍事利用は禁止しても、核保有国の軍事転用は野放し。なんて手前勝手なことか。
やっぱり原発は原爆製造工場だった。日本の推進派諸君も、米政府に抗議文を送ったらどうだろう。(高木)
「風車」-第四〇号(一九八一年八月)
アメリカ下院本会議は六月二十六日、クリンチリバー高速増殖炉原型炉の建設予算を復活させた。五月七日に下院科学技術委員会が全面削除の議決をしていたのを逆転させたものだ。二億五千万ドルの原案から二億三千万ドルに減額はされたものの、FBR推進を打ち出したレーガン政権としてはほっと一息というところか。
とはいえ、実際に工事にかかるには公聴会など多くの手続きが控えている。いや、そもそも表向きの推進姿勢はともあれ現実的な考えとしては、レーガンもFBRを「むしろ当面やる気はないようだ」と、東京電力の堀一郎副社長は言う(七月二十一日付日経産業新聞)。アメリカのみならず「英国も表向きは国際協力に前向きのようなことを言っているが、やはり資金力に問題がある」そうだ。
FBR開発では最もすすんでいると言われるフランスでさえ、ミッテラン政権が誕生するはるか以前から実証炉建設延期の観測があった(深井秀昶海外電力調査会主任研究員の言―五月十二日付日経産業新聞)。"金食い虫"FBRの経済性がいっそう悪化しつつあるのが原因らしい。誰もエネルギーのことなんか考えちゃいない、というのがホンネだろう。(西尾)
「風車」-第三九号(一九八一年七月)
上欄で紹介したアメリカの技術評価局の核戦争の影響報告は、かなり徹底したものだが、ひとつだけすっぽり抜け落ちたことがある。それは原子力施設が攻撃されたときの放射能流出に関する影響評価だ。
それもそのはず、原子力施設はこの種の攻撃には、全くのお手あげだからだ。アメリカの原子力委員会は、原子力産業の負担を軽減するために、かつてごていねいに「原子力施設は軍事攻撃に対して特に備えていなくてもよい」と通達まで出している。
しかし、通常兵器による原子力施設への攻撃は、核戦争と同じ効果をもつ。この古くからあった懸念は、イスラエルの暴挙によってとたんに現実の問題となった。
原子炉は厚い格納容器で守られている。という意見もあるが、それもあやしい。仮に格納容器が破壊を免れても、冷却系や電源が破壊されればメルトダウンは避けられない。廃棄物置場や再処理工場が破壊されたら、放射能は一気にまき散らされよう。
仮に東海再処理工場がフル稼働中に破壊され、その廃液がまき散らされたら、という仮定で死の灰のひろがりを推定したのが図3だ。これはあくまで大ざっぱな推定で、推定値に大きな幅があることは断わっておく。しかし、核施設と戦争があるかぎり、我々はいつも死と隣り合わせであることに間違いはなかろう。(高木)
「風車」-第三八号(一九八一年六月)
「原子力発電所からの"声"」が原発推進の民間グループによるアンケート調査から漏れ聞こえてきた。「行動するシンク・タンク推進グループ」が、電気事業連合会の依頼を受けてまとめたという作業従事者実態調査報告書は、なるほど電事連が公表を渋るのも無理はない実態を示している。
『原発ジプシー』や『原子炉被曝日記』に共感する者が六四・八パーセント、フィルムバッヂなどの測定器を信用できないとする者が二二・五パーセントといった調査結果があり、「ポケット線量計の読みをごまかす時がある」との告白も、ありえないはずだと言い訳しながら紹介されている。「初期に開発された原発は相当汚染されており、そこで働かされている者は、ゴキブリ以下だ」「原子力は危険で、『原発ジプシー』より現実はもっとひどい」といった指摘もある。
原発についての評価でも、必要性を否定する者が四一・八パーセント、安全性を否定する者が四四・九パーセントに達した。原発への信頼度も期待度も、職場での満足度も、学歴が高いほど否定的だ。この「理解に苦しむ結果」を、調査グループは、「作業従事者に対する教育が不足している」からだと理由づけた。
そうした"教育"こそ、アンケートの回答が「疑惑」と「不満」を表明している当のものではないのだろうか。(西尾)
「風車」-第三七号(一九八一年五月)
「無理が通れば道理がひっこむ」とは、まさにこのことだろう。原電の犯罪行為は、原電に関して新しいことわざを生んだ。曰く「稼働率を上げれば事故が隠れる」。
敦賀原発は、古い原発の中では、抜群(?)の稼働率を誇ってきた。運開以来の平均利用率が六三・六パーセント(同時期に運開した福島一の1が四〇・八パーセント、美浜1が二二・九パーセント)、昨年度は六九・一パーセントだった。少なくとも昨年の高稼働率は、給水加熱器修理を運転継続しながら行なうという無理を押しての数字だったことははっきりしている。
さらにその根源をたどれば、無理な原発計画に原因がある。「無理な計画、事故隠しを生む」。電力各社の今年度施設計画に示された原発の開発計画(2面に掲載)をみれば、その無理は明らかだ。昨年十一月に閣議決定された、一九九〇年度に五千百~五千三百万キロワットという目標にムリやり数字合わせをして、ようやく五千九十二万キロワットをはじきだしたのが、計画の実体だ。
計画策定に際しては、電力業界の抵抗を押して通産省が強引に考えを通した──と業界紙も報じている。その無理のしわ寄せの最たるものが廃棄物問題であり、その一端が敦賀で顔をのぞかせたのである。(高木)
「風車」-第三五号(一九八一年三月)
日本原子力産業会議が七九年度の原子力産業実態調査報告をまとめ、一月末に発表した。
それによれば、原子力関係鉱工業の同年度売上高は五六六四億円、同じく支出高は五八二七億円だという。七七、七八年度と、初めて二年続きの黒字を出した日本の原子力産業だが、再び赤字に転落した。その大きな理由は、スリーマイル島原発事故の影響による受注の停滞だ。
しかし、対前年度比で二一パーセントという原子炉機材部分のマイナスの割には、赤字の幅は小さい。これは、他方で核燃料サイクル部門における対前年度比九二パーセントもの著しい伸長があることによる。原子炉機材部門の減少額七五五億円のうち、四六三億円が核燃料サイクル部門での増加額で補われている。同じことを別の側面から見るなら、電気事業向けの売上げの減少と、政府向けの売上げの増加ということになるだろう。すなわち電気事業向け売上げの対前年度比一二パーセント減の一方、政府向けの三四パーセント増である。ここでも、電気事業向け売上げの減少額五四六億円のうち、一八八億円が政府向けの売上げによってカバーされている。
核燃料サイクル部門(これだって、本来は電気事業が行うべきものだ)を中心に、国家予算を注ぎこむことで電気事業の負担を軽くし、原子力産業を辛うじて成り立たせる仕組みは、かくて露骨にその正体をさらけ出した。(西尾)
「風車」-第三四号(一九八一年二月)
新年早々の驚きではあるが、ここはひとつクールに受けとめたい。ここで言うのは、かの自民党運動方針のことである。「ここできびしく批判すべきは、わが国の一部勢力によるイデオロギー的な反対のための反対である。……われわれは、自主的安全技術の開発を促進し、これに関する情報を普及することによって、この反対運動の本質を暴露し、その動きを断固粉砕しなければならない」と、大変な勢いだ。
一部勢力、と言い、反対のための反対、と決めつけたわりには、自民党も原発反対運動を大変気にしている。運動方針のどこにも、反原発運動以外に「断固粉砕」の対象としているものはない。
大義がますます彼らから離れ、「推進のための推進」と化したことのあせりの表現ともとれる。この方針を冷静にみた時、むしろ重要なのは次のくだりだ。「方針」は、原発推進の最大の難点は、地方対都市、生産地対消費地の対立にあるとして、「全国的な裾野をもつ労働組合や消費者団体に……都市と電源地帯の連帯の実現に協力してもらうよう呼びかけて行かねばならない」と言う。これに生産者団体を加えれば、まさにこの点にこそ、今後の彼らの攻撃の標的を絞っているともいえよう。(高木)
「風車」-第三三号(一九八一年一月)
泥仕合。広辞苑の定義は、互に相手の秘密や失敗を暴露し合ってみにくく争うこと。
あのスリーマイル島原発の所有者GPU社が、米原子力規制委を相手どって、約八千億円に及ぶ損害賠償請求をした。指導の悪さが事故につながったからだという。
一方、GPU社は、いまワシントンでさかんに議会工作をしている。原発一基の建設費にも当たるスリーマイル島原発の除染費用を国に出させるためだ。盗人猛々しいとはこのことだが、それほどに同社の経営は苦しいのだ。
最近、GPU社は、フォークド・リバー原発の建設を断念した。VEPCO(ヴァージニア電力)社も建設中のノースアンナ原発4号炉を諦めた。これで、八〇年中のアメリカでの原発建設キャンセルは九基に達した。
尋常なことでは原発を建設しきれない、建設しても廃棄物や廃炉の問題などで、採算の展望のないことが明らかな時代に入ったのである。眼を日本に転ずると、「広域運営」などと称して東京電力と東北電力など、原発建設路線をとにかく維持するための事実上の合併が始まっている。原発は九電力体制をも崩壊させつつあるのだ。
新年から味気ない話になった。今年は酉年。鶏はいまどんな時を告げようとするか。折からレーガンが就任する。(高木)