2004年01月21日

「風車」-第五六号(一九八二年一二月)

「風車」-第五六号(一九八二年一二月)

 ミッテラン仏大統領のインド訪問中に、フランスからインドへの濃縮ウラン供給の協定が結ばれ、両国間で調印された。この濃縮ウランはタラプール原発用のもので、毎年同原発をフル稼働させ得る量だという。

 タラプール原発は二十一万キロワット二基の原子炉からなり、アメリカのBWRである。そこでこれまではアメリカの濃縮ウランが供給されてきたが、アメリカ側がプルトニウムの軍事転用防止に関するインドの保障措置に満足せず、七九年から供給停止となっていた。その間隙をフランスがついたわけだ。

 もっとも親原子力派のレーガンのことだから、今や自国であり余ってる濃縮ウランを、規制を緩和してでもインドに売りこもうと画策していた。それでも、インド側の軍事転用の意図があまりに露骨だったので、アメリカでは待ったがかかった。

 フランスはインドの再処理も認めており、保障措置は尻ぬけになりそうだ。ミッテランは商売を優先したのか、仏印関係強化のための政治なのか、いずれにしても、原子力をとりまく環境はとみにキナ臭い。今回の措置が世界的な核拡散の引金になりそうでこわい。日本でも、原発利権屋の頭目が操り、核武装論者が首相となった内閣が誕生、たいへんキナ臭くなってきた。(高木)

Posted by 編集部 at 17:33

「風車」-第五五号(一九八二年一一月)

「風車」-第五五号(一九八二年一一月)

 今年の『原子力年報(原子力白書)』が、十月二十六日、原子力委員会から発表された。発表時の記者たちへのレクチャーのたまものだろうか、原発の経済性を強調した白書、と各マスコミは、これを報じている。

「一週間だけ貸します」と恩着せがましく言われて、安全委の事務局から、この白書を借りてきた。ページを開いてびっくり。経済性についての記述は、五五五ページのうちのわずか二ページでしかない。なるほど原発は安いとする発電単価の数値が書いてはあるが、その根拠は一行たりとも書かれておらず、通産省の試算値の丸写し。これで「原発の経済性を真正面から取り上げた」もないものだろう。

 一年前までは大いに幅をきかせていた「石油危機」の錦の御旗が色褪せてしまったことから、急いでひっぱり出した借りものの旗が「経済性」ということか。原発推進が先に決められていて、後からその理由がつけられる。そんなやり方がいつまで通用すると、彼らは考えているのだろう。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:32

「風車」-第五四号(一九八二年一〇月)

「風車」-第五四号(一九八二年一〇月)

 大ロンドン市議会は、ロンドンにある三つの核シェルターを閉鎖する決議を採択した。同時に、イギリス政府が同市に押しつけている核攻撃からの民間防衛演習への参加を拒否することを決めたという。

 この夏、神田の書店の店頭に、西ドイツ製のシェルターが展示されているので、見に行った。核爆発の爆心地から四百メートル以遠ならば、爆発の過圧に耐えられるというシェルターは、見たところ、あっけないほどのコンクリートの塊り、東京の雑踏の中に人目も惹かずに横たわっていた。

 こんなもので、いったい何が守れるというのだろうか。千五百万円(工事費込み)を払ってこのシェルターを買いこみ、いざという時にその穴ぐらの中にひそみ、自分だけは生きのびようとするお金持ちたちの姿を想像しただけで、吐き気を催してしまった。

 そんなもので身を守ろうとする思想をはっきり拒否し、核から身を守るためには核を廃絶するしかない、と宣言したのが、今回のロンドンの決議だろう。

 大ロンドン市議会は、六月に非核都市宣言を行なっている。この宣言も、大方の諸都市の抽象的な決議と異なり、原子炉の新設拒否や民間防衛義務の解除などを含む、なかなか実質的なものだ。核のない社会への歩み出しがロンドンから世界の都市へ波及することを願う。(高木)

Posted by 編集部 at 17:32

「風車」-第五三号(一九八二年九月)

「風車」-第五三号(一九八二年九月)

 期せずして、この夏、四半世紀も前の米ソのそれぞれにかかわる核の悲惨を告発した書物が出版された。ローゼンバーグ著の『アトミックソルジャー』とメドべージェフ著の『ウラルの核惨事』である。

 前者はアメリカのネヴァダの核実験―原爆を用いた地下演習―にモルモットのようにかり出され、傷ついた兵士の物語である。後者は、ソ連の南ウラル地方で起こった、放射性廃棄物貯蔵庫の爆発による大規模な放射能放出事故の告発の書である。

 どちらも、広島・長崎とともに、人々の心にはっきりとめておくべき核のもたらした悲惨、生命の尊厳への挑戦であった。その時に、世界の人々に克明に事実が伝えていたならば、歴史は変わっていたかもしれないとすら思える。だが、まさにその意味の大きさ故に、米ソはこの事実のいっさいを歴史から抹殺しようとした。核開発を正当化し、原発をバラ色に描きたてるためであった。この隠ぺいは、全人類に対する最大の犯罪といってよい。

 核大国がそれ故に陥った道徳的退廃の底の深さを、あらためて思いしらされる。(高木)

Posted by 編集部 at 17:29

「風車」-第五二号(一九八二年八月)

「風車」-第五二号(一九八二年八月)

 七月二十一日、かのスリーマイル島原発(TMI)2号炉の炉心に、事故以来初めて、水中ミニカメラがおろされた。制御棒駆動装置の穴を利用してのカメラ挿入だったという。

 カメラでのぞいた炉心はどうだったか。「炉心上部はがれきの層」と外電は伝えている。原子力産業新聞に、その写真の一枚が掲載されているが、あまり鮮明ではない。しかし、まさに炉心はがれきを積みあげたように、がたがたに破損している。予想されたことだったとはいえ、あらためて事故のすさまじさを感ぜずにはいられない。

 果して炉心は溶融していたのか、それとも被覆管の破損といった程度のことだったのか。UPI電によれば、GPU社のアーノルド社長は、「がれきは被覆管の破損によるもので、溶融の証拠はない」とがんばっている。だが、作業にあたった科学者ハミルトンは、ワシントンポスト紙に、「予想以上の損傷で、ほとんど全面的なメルトダウンだった」と感想をもらしたという。部分的な観測だから安易な推定はできないが、写真をみる限り、燃料は融けていた、という印象を受ける。

 原子炉の蓋開けと燃料取り出しは来年以降。事故の全面的な後始末はさらに延々と続く。そのひとつひとつを、しっかりと見守りたい。(高木)

Posted by 編集部 at 17:28

「風車」-第五一号(一九八二年七月)

「風車」-第五一号(一九八二年七月)

 今年の沸騰水型原発の定検予定がべらぼうに長い。福島第一の六基はどれも四ヶ月以上だし、1~3号炉は六ヶ月以上と見込まれている。浜岡1、島根1、東海第二も長い。予定がこんなだから、実際はもっと長びくかもしれない。

 福島第一1号炉をみると、昨年四月から今年一月までほぼ九ヶ月の定検を行なった。その後八ヶ月動かして、再び六ヶ月の定検に入る予定が組まれているというのだから驚く。同2~3号炉についても似たような状況だ。

 東電はいくつかの理由をあげているが、最大の問題は給水スパージャーの取替えだろう。炉内作業となるため、またまた下請労働者の被曝が増大するのは目に見えている。

 それにしても、福島1号炉など、短期運転→長期定検の繰返し、まったく政治的に稼働させているに過ぎない。新設の大型原発が次々と運開入りするため、平均の稼働率が六〇パーセント台となり、目立たないだけだ。数字のインチキはいい加減にしてほしい。(高木)

Posted by 編集部 at 17:28

「風車」-第五〇号(一九八二年六月)

「風車」-第五〇号(一九八二年六月)

 原子力の世界では、信じられないようなニュースがよく伝わってくる。あのTMI2号炉を「日米欧で共同出資して修復する」というのも、そんなニュースの典型だ。

"修復"といっても、実際は除染など事故の後始末の作業である。その経費の見積もり額十億ドルを、当の電力会社もアメリカ政府もまかない切れない。そこで、七億六千万ドルを日・独・仏などに負担してもらいたい、という法外な話である(五月二十四日付日本工業新聞)。

 これに対し、電気事業連合会は、協力要請に応じる方向だという。"研究用"に破損した炉心を買いあげるとも伝えられている。

 アメリカ側の本音は、原子力はすでに過去のもの、いまさら除染や破損炉心の研究に、何千億円もの金を出す気はしない。軽水炉技術や濃縮ウランの提供の恩義で、日本にも金を出させよう。というところだろう。電事連も、アメリカを怒らせてはなにかとまずい。TMIの後始末が進まなくては、原子力のイメージが低下するばかりだ。金で済むのなら……というところだ。

 しかし、電事連が金を出すということは、とりも直さず、われわれの支払う電気料金でTMI事故の後始末をするということだ。まったく信じられない世の中になったものだ。この計画に強い反対の声をあげよう。(高木)

Posted by 編集部 at 17:28

「風車」-第四九号(一九八二年五月)

「風車」-第四九号(一九八二年五月)

 省エネ、イコール節約と考えるのは、「誤解」なのだそうだ。四月二十七日付の電気新聞が報じるところによれば、東北電力山形支店ではこのほど管内各営業所のサービス課長らを集めて、支店長が、そんな訓示を行なったという。

 産業界の構造転換により大口電力需要の伸びが期待できない。「したがって、民生用需要を伸ばしていくことが必要になってくる」と、支店長氏は、サービス活動を通じての需要増進を訴えた。そこで邪魔になるのが「省エネ」という掛け声だ。お陰様で電力需要の伸びも落ち込んでいる。「省エネの本質を正しくわきまえ、需要家に正しく理解させることが大切」という次第である。省エネとは「エネルギー使用の適正化」のことであるから、適正にどんどん電気を使って下さい、というわけだ。

 電力需要の落ち込みは、即ち料金収入の莫大な思惑外れとなる。初期投資の大きい原発なんか、とても作れなくなるだろう。ならば「電力危機」の宣伝に反発したりせずに、素直に「誤解」して節電につとめることを、ぜひ提案したい。言いかえれば原発を建設させないための、電気の"不買運動"を。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:28

「風車」-第四八号(一九八二年四月)

「風車」-第四八号(一九八二年四月)

 東京電力などで、「老朽火力」の休止が行なわれようとしている。すでに減価償却を了えた古い発電所だから、当然のことと思われそうだが、それは違う。

 原発と違って、火力の場合は、古い発電所だからといって効率が落ちるわけでもなく、十分に使用に耐える。減価償却を了えているということは、適当な保修を加えるだけで、使えば使うほど利益をもたらすことを意味するのである。また、石油、とりわけC重油のだぶつきと価格安定で、石油火力の新設を禁じたオイル・ショック後の政策の見直しすら語られている時に、既存の火力を休ませる理由はない。

 それをなお休止というのは、一方で原発の新設がすすめられているからだ。平岩社長が「我々のではなく国の計画」と呼ぶものに協力して、社内的にも無理をしながら原発の建設がすすめられていることが、よくわかる。もっとも、そのツケは、電力料金の値上げとして消費者にまわせばよかったのだが。

 しかし、そんな無理にも限度がある。電力需要の構造的な落ち込みは、何よりも電力の設備投資の財源を直撃した。しかも、値上げをすればいっそう需要は落ち込む。それを承知でゴリ押しをするのは自分で自分の首を締めることだと、いつになったら気づくのだろうか。(西尾)

Posted by 編集部 at 17:27

「風車」-第四六号(一九八二年二月)

「風車」-第四六号(一九八二年二月)

 自らの死体を焼いた死の灰の中から甦るという古代エジプトの伝説上の不死鳥フェニックス。それにスーパーがついたのだから、さぞかし不死身かと思いきや、ロケット砲五発でとたんに大騒ぎとなった。

 といってこのニュースをはやしたててはいられない。もし運転中の高速増殖炉だったら、もしプルトニウム燃料の搬入作業中だったら……と考えると、心底恐怖すべきことだ。求められてある所に書いたことなのだが、もし、もしと想定を立てているうちに、どんどん憂うつなことが現実化する。その度に「もし」の内容は一層悲惨なものとなり、それでも自分が生きていることにかろうじての慰めを見出す。

「もし」の絶えざる後退とともに、「プルトニウム帝国」は少しずつ完成していくのだろうか。イスラエルのイラク原子炉爆撃といい、今回のスーパーフェニックス砲撃といい、思わぬところから新たな核の恐怖がもたらされる。事態の進行は、悲観論者の予測をも上まわっているのではないだろうか。

 アメリカで出された「二〇〇〇年の地球」という報告でも、高度の文明社会ほど、思わぬ災害や天災にもろいと指摘されていた。ユンクの言葉が想起される。「近代技術のうえに成り立つ専制政治は、昔の権力支配よりも強力であると同時にまたもろさをそなえている。最終的には水のほうが、石よりも強いであろう」。(高木)

Posted by 編集部 at 17:27

「風車」-第四五号(一九八二年一月)

「風車」-第四五号(一九八二年一月)

 謹賀新年。例年の如く、南房鴨川の海を見下ろす山裾に、元日の朝を迎える。晴れ渡った穏やかな元旦、戌年の始まりである。だが私たちが最初に目にしたのは、三十頭近い野猿の群であった。

 思わず、犬猿の仲という言葉が口をつく。早くも、八二年という年の厳しさを思い知れ、ということか。穏やかな日ざしに感謝しつつ、この穏やかさも後何時間かして山を下りるまでのことだ、と自ら心がひきしまる。

 はっきりとした電力需要の屈折(停滞)によって、原発計画の下方修正は必至、一方米ソを中心とした核開発は一層きわどさを増す。弦をぎりぎりまで張りつめたような中で、八二年が始まろうとしている。金で命を買いとることをほとんど唯一の戦術とするかのような、強引な原発推進が一層進むことだろう。そして今年は、いよいよ第二再処理工場の候補地も打ち出されてくることだろう。

 私たちの反原発運動は、これまでにもまして多様な困難を覚悟しなくてはならないだろう。だがこの困難の先に、私たちははっきりと一条の光を認めることができないだろうか。闘いの前方に勝利を確信してよいだけの蓄積を、八一年の全世界の人びとの闘いは残し得た。私はそう思う。(高木)

Posted by 編集部 at 17:26