「風車」-第六九号(一九八三年一二月)
いま、「軽薄短小の時代」だという。あまり好きな語感ではないし、そのしわ寄せがどこにおしつけられるのかを考えればとても手放しで歓迎というわけにはいかない。しかし、それにしても、エネルギー多消費の産業構造が二進も三進も行かなくなったことの意味は、やはり大きいといえるだろう。
「軽薄短小の時代」に、まさに逆行するのが原子力である。科学技術庁原子力局の高岡敬展局長が『電気情報』紙の十月号で「重厚長大の原子力」と題する巻頭言を書いている。いわく、「私共の携っている原子力の仕事は、重厚長大を画にかいたようなものである」。
むろん高岡局長は、ふたたび「重厚長大の時代」がくることを熱望して右の文章を書いているのだが、それが難しいとなればどうなるか。「重厚長大的開発の再活性化と結びつかないかぎり、原子力発電を中核とする原子力産業の活況は望めないようである」。
「重厚長大の時代」が再びくるとは、もとより高岡局長も自信をもって言えない。むしろ「それを望むこと自体が間違いなのか」と考えこまざるをえないのが実情なのだ。
原子力開発を推進する当事者ですら、その未来に自信を持てない時代―それが、いまである。私たちは自信をもって、反原発の運動を先に進めたい。(西尾)
「風車」-第六八号(一九八三年一一月)
「原子力白書」が出た。例によって官僚の作文で、言葉に魂が入っていない。だからそこから何か大きな示唆を受けるといった類のものではない。しかし読みようによっては、書いている連中の下心が察せられたりもする。
昨年の白書は、電力過剰のなかで原発の発電コストの安さが妙に強調されていたが、今年はすでにかげりが生じた(4面参照)。「他の電源に比して劣らないと考えられる」とは、後退した表現だ。
一方で、原子力産業についての記述をみると、従業員数は五万八千人、売上高は八千七百五十億円(八一年度)になり、「エアコンやテレビの売上高にほぼ匹敵している」と述べている。つまり、原子力産業はすでにいっぱしの産業で、労働者も多い。とにかく維持しなくては、と言いたいらしい。
白書のそんな言い方と呼応するようなニュースが伝わっている。中部地方電力関連産業労組連は、去る十月二十三日、名古屋市に中部電力労組員など五千人を集めて、"原発推進"のデモを行なった。この種の大規模な行動はこれが史上初めてのことだという(十月二十五日付け電気新聞)。「雇用のために兵器産業を」「雇用のために原発を」という合唱が少なからぬ労働者をまきこんで始まっている。そんな時代にどうたち向かうか。(高木)
「風車」-第六七号(一九八三年一〇月)
日本のマスコミは、スリーマイル島原発の事故など、もはや忘れたいらしい。UPI電の伝えた重大なニュースを、どの新聞も無視した。
九月十五日づけの「ジャパン・タイムズ」に載ったその記事は、NRC(米原子力規制委)の調査で、TMI原発の除染作業のずさんさが批判された、というものだ。
この話には、前史があって、同原発のパークスという技術者が、あまりにずさんな除染作業をしていた。そこでNRCの調査となったわけだが、その結果は現在ベクテル社によって進められている除染作業に、数々の安全規則違反があったことを認めた。調査チームはその結論として、さらに新たな調査班をつくって徹底した検討をすることを勧告している。
ベクテル社と原発を所有するGPU社は、予定された除染計画を期日までに消化したくて、強引な「後始末」計画を考え、実施しているのだが、それがいま周辺地域に「第二の危機」を生み出している。その危険性が指摘されたわけだが、そんなベクテル社の計画でも除染は、一九八八年までかかるという。慎重にやったらいったい何年かかるのか。事故はまだまだずうっと続いていく。マスコミもそこをちゃんと報道してほしい。(高木)
「風車」-第六六号(一九八三年九月)
こぶしをふりあげてのシュプレヒコールは暴力の象徴か。反原発全国集会の第八分科会で提起された問題が、集会を縁の下で支えた京都・大阪の若い人びとの「打ちあげ会」で再び議論の的になった。
こぶしは、武器をもたない、素手による抵抗を意味するのだ、という異議もあった。こぶしはダメというのなら、原発をおしつけられる現地の人びとの、腹の底からの怒りが一体どう表現できるのか、との反論もあった。
ひょっとしたら、問題を提起したのが東京からの参加者であったことも、反発を招いた一因だったかもしれない。京都や大阪では、口先で非暴力を喋々するのでなく、日常的な実践をつみ重ねてきている。シュプレヒコールについても、さまざまな創意工夫の努力をつづけてきた。「そんなことは東京でこそ言ってくれ」といいたくなるのも、むりはない。
とはいえ、安易にこぶしをふりあげてよしとすることは、やはり考えなおさなくては、という点では大方の一致がみられる。「戦術」とか「部隊」とかいった言葉の濫用についても、同様だろう。
まっとうな怒りを大切にしながら、全体集会で森滝市郎さんが語られた「愛の文化」をどう育んでいけるのか。反原発を掲げる私たちは、とてつもなく大きな問題にとりくんでいるのだと思う。(西尾)
「風車」-第六五号(一九八三年八月)
八月、反核の行事が続くなかで、インドの"核"をめぐる動きが注目される。最近レーガン米大統領が、インドのタラプール原発に必要な部品の輸出をみとめる意向を明らかにした。
これだけのことがなぜ大事件かというと、この輸出は一九七八年に成立したアメリカの核不拡散法の適用除外にあたり、核不拡散法を今後有名無実にしてしまうからだ。インドは核施設についてIAEA(国際原子力機関)の国際査察を受け入れておらず、アメリカの法では輸出できない。
タラプール原発は、GE社の輸出したものだが、名だたる欠陥原発で、事故の報や噂が絶えない。最近では燃料棒の輸入がストップし、自前の燃料棒を使ったことが、いっそう汚染を拡大し、労働者被曝は急増、二基の原子炉の一基は停止し、一基も出力を下げての運転と伝えられる。
そんな状況で、安全上待ったなしとして、あえて核不拡散法を侵しても、部品輸出する、というのがアメリカの言い分だ。もっとも議会の反対が強く、日本の会社にやらせたら、というとんでもない意見も出ているとか。
そんななか、米紙ワシントン・ポストによれば、インドは近く第二回の地下核実験をすべく、穴を掘っているという。(高木)
「風車」-第六三号(一九八三年七月)
久しぶりに裁判の判決に納得がいった。六月二十九日、大阪高裁の仲西裁判長は、「国鉄には視力障害者用の点字ブロックなど安全施設をどの駅にも設置すべき義務がある」のに、それを怠っていたと、大原隆さんの訴えを認め、国鉄に損害賠償の支払いを命じた。
国鉄は「少数の視力障害者の乗降しかない駅への点字ブロック設置の義務はない」と主張し、地裁の一審判決もそれを支持した。それによって死傷や不便を生じるとしても、その数が小さければ無視してもよい、ということだろう。だが、これこそ原発など現代テクノロジーを支配する確率論的切捨て論だ。
物事の軽重、そして命の軽重すらも、被害の大きさ×発生確率の積の大小で決められていく。事故の安全解析から許容線量の規制まで、原発の正当化の背景には、いつも確率論があり、それによる少数の切捨てがある。
いや、原発では事故確率も被害の規模も大きいぞ、といって反論するのは、すでに確率論にはめられている。いったんこの論理にはめられると、数字のやりくりなどは権力者の操作のまま、結局は多数による少数の切捨てからさらには少数権力者による多数者の切捨てまで許してしまう。
経済合理性という陥穽に入りこむことなく、生命の尊厳の無条件の優位を認めた仲西判決を、とくに今評価したい。(高木)
「風車」-第六二号(一九八三年六月)
「原子力発電は将来の国民生活に必要なものとの社の方針が決まっている」A新聞に、電力業界が働きかけ原発のPR広告を掲せはじめたら、Y新聞があわてて飛んできた。「原子力は、私どもの社長が導入したもの。そのPRをライバル紙にとられては面目がたたない」
Y新聞にもPR広告が掲るようになって、こんどはM新聞も広告を出してほしいと言ってくる。そこで電力業界側は答えた。「御社ではいま、原発の反対キャンペーンを張っている。反対が天下のためになると思うのなら、広告なんてケチなことをいわずに反対に徹すればいい」。
徹しきれないM新聞としては編集幹部までをくり出して頼み込んだ。電力側の答えはこうだ。「消費者運動を煽って企業を潰すような紙面づくりをやっていたのでは、広告だってだんだん出なくなりますよ。キャンペーンはそのうちやめることになると思うから、そのうえでの話にしたらいいのではないですか」。
しばらくしてキャンペーンは消え、M新聞にも原子力PRの広告が載るようになった。―と、以上は電気事業連合会の元広報部長鈴木建氏が近著『電力産業の新しい挑戦』で述べている自慢話である。
こんな"自慢話"をされてよいのですか、A、Y、M紙の皆さん!(西尾)
「風車」-第六一号(一九八三年五月)
二五年も前になるが、軍事炉ウィンズケール1号は、火災事故を起こした。大量のヨウ素が放出され、汚染ミルクが回収されるなど、史上有数の事故となった。しかしそれでも「死んだ人はいない」というのが、例によって推進派の宣伝文句となった。
遅ればせながら、最近になってイギリスの放射線防護審議会が事故評価の報告書を出した。それによれば、この事故は放射性ヨウ素で二六〇人に甲状腺ガンを発生させ、うち一三人を死亡させたはずだ、という。今さら言われてもとり返しはつかないし、その数も甘すぎるだろう。だが、死者があったことの追認の意味は重い。
ところが、もっと大変な大事故だった、という説が、英科学誌に掲載され、波紋を呼んでいる。事故時には、軍事用に生産中であったポロニウム210も大量に放出されたはずだが、今までその影響は無視されてきた。その評価をすると死者は千人を越えたと考えられ、白血病死亡率の増加がそれを裏づけている、というのだ。
説得力のある説だが、厳密な評価は当方としても少し留保したい。しかし、四半世紀も前の事故の死者数が十何人だったのか、何千人だったのかと、いま議論しなくてはならないとは!そのこと自体が、原発が私たちに押しつける不幸のひとつに違いない。(高木)
「風車」-第六〇号(一九八三年四月)
東海再処理工場がまたとまってしまった。もともと片肺運転中だった溶解槽とひとつしかない酸回収蒸発缶の穴あきなので、今回の停止は長期化しそうだ。動燃側も動揺を隠せない。
そのニュースに重なるようにして、「イギリスは再処理を放棄へ」という報道がつたえられて、大騒ぎとなった。もっとも『原通』(三月十四日号)によれば、このニュースの源である英中央電力庁のベイカー氏のニュアンスは、必ずしも「再処理放棄」ではなかったらしい。しかし、イギリスやフランスまでも、自国の再処理計画には慎重になってきたことは、どうやら否定しようもない。
先日、スエーデンのエネルギー問題研究者が訪ねてきた。彼は原発反対派というわけではなかったが、日本政府がなぜ再処理政策にそれほどこだわるのか、不思議でたまらないと言っていた。経済性、必要性とも、科学技術庁の役人の言い分には、少しも説得力がない。電力会社の連中に聞くと、むしろ再処理は必要ないという言葉がかえってくる。それなのになぜ、というのが彼の疑問だった。
もっとも、彼はすでにちゃんとその答えに到着していた。「日本では政府が一度決めたことは、どんなに不合理でも撤回しないようですね」。そう、日本の原子力問題全体が、まさにそのためにあるのである。(高木)
「風車」-第五九号(一九八三年三月)
まもなくスリーマイル島原発事故四周年を……と書きだして、穏やかな陽ざしに春を感じる。そして、突如として、あたりまえのことに初めて気づく。かのTMI事故は、春のただ中のことだった、と。
「アメリカでは、春が来ても自然は黙りこくっている。そんな町や村がいっぱいある。いったいなぜなのか」とレイチェル・カーソンは、名著『沈黙の春』の中で問うた。今から二十年も前のことだ。「沈黙の春」のメッセージを正しく受け止めて、ふたたび「萌えいずる春の日」を取り返そうというのがカーソンの思いだった。
私たちは「TMIの春」からほんとうに正しくメッセージを読みとっただろうか。この四年間にどれだけのことができたか、反省は多く残るが、無為ではなかったと思いたい。
日本の電力会社はTMI2号炉の損傷炉心の回収作業に資金援助するという。これは、我々の電気料金を注ぎこんでも、アメリカの原子力産業の崩壊を防ぎたい、ということだ。アメリカとの共倒れを惧れる露骨なやり方だ。だが彼らが学んだものが、そんなに姑息な「国際協力」でしかないとしたら、その前途も目にみえている。
私たちはゆっくりとしかし確かに春に向かっている、と信じたい。(高木)
「風車」-第五八号(一九八三年二月)
邦光史朗の『鉛の箱』が徳間文庫に入った。敦賀1号炉とおぼしき原発の輸入をめぐって汚職と殺人がからむミステリーである。GE、WH両者とおぼしき米企業と結んだ、東京電力および関西電力とおぼしき会社の出向者たちが、日本原電とおぼしき会社のなかであい争う。
肝心の「放射線殺人」はいささかならず無理があるようだが、一九六五年という早い時点で原発を主題にミステリーを書いた先見の明には敬意を表したい。邦光には『影の時間』(ノンノベル)という核ジャック小説もあり、短篇でも原発を扱っている。
原子力産業グループの結成をテコに旧財閥が復活したことや、バスに乗り遅れまいとしてありとあらゆる企業が原子力産業会議に名を連ねたことなど、黎明期の日本原子力事情がわかりやすく説明されているのも、『鉛の箱』のありがたさだ。
小説に描かれたような汚職がはたして実際にあったかどうかは寡聞にして知らない(まさか殺人までは!)が、アメリカからの軽水炉売り込みに道を開いたといわれている男の名を、中曽根康弘という。「ぐずぐずしている学者のほっぺたを札束でなぐってやるのだと、いち早く原子力予算をぶんどってきた代議士」である。(西尾)
「風車」-第五七号(一九八三年一月)
年をとったのか、月日のたつのが妙に早い。そのうえに仕事がら情報に追われ続けていると、ほんの少し前のことまで、遠い昔のことのように記憶の彼方に次々と追いやられていく。いや、これはあながち歳のせいではなく、情報の氾濫する世の中のせいであろう。
そのことをつくづく感じたのは、少しばかり土本典昭さんのお手伝いをして、「原発切抜帖」の映画づくりに参加した時のことだ。ヒロシマからTMI、そしてツルガまで、その時々には抑えることのできない憤りをもって受けとめたでき事も、いつしか歴史のひとコマとして、自分の中で受容してしまっている。そんな自分を発見した驚きは大きかった。
十年、二十年という時間を通じてみると、推進派の言い分の変質、その場しのぎの発言の無責任さには、あきれるばかりである。たとえば今から十年前に、彼らは石油ショックに乗って、「原発建てなきゃ電気が止まる」と騒ぎたてた。電気と石油のダブつく現在では、笑い話のようなことだ。
だが、そうやって推進派のその場しのぎにケチをつけているだけでは、こちらも状況対応主義から抜けきれない。私たちの運動も十年単位で物を考えるべき時に来ていないだろうか。今年もよろしく。(高木)